アガサ・クリスティの10冊

アガサ・クリスティ

  1. そして誰もいなくなった
  2. ナイルに死す
  3. 春にして君を離れ
  4. ホロー荘の殺人
  5. 予告殺人
  6. 鏡は横にひび割れて
  7. スリーピング・マーダー
  8. ABC殺人事件
  9. 検察側の証人
  10. ゼロ時間へ
 ミステリの女王、アガサ・クリスティ、である。 100冊セレクトに際して1作家=1冊という制限を設けたのだが、クリスティだけは別格。 10冊選ばせてもらうことにした。
 とはいっても、100冊近い作品の中から10冊に絞り込むのは、なかなか辛いところがある。 『アクロイド殺し』『オリエント急行の殺人』といった有名処が漏れてしまっているが、 クリスティが凝らした趣向に合わせて、バランスよく選んでみたツモリである。
 もっとクリスティの作品について知りたい方は、姉妹サイトDelicious Deathを参照いただきたい。

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そして誰もいなくなった And Then There Were None, 1939

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清水俊二訳 ハヤカワ・ミステリ文庫 ISBN:4-15-070001-X [ bk1 / Amazon ]
それぞれ見も知らぬ、さまざまな職業、年齢、経歴の十人の男女がU.N.オーエンと名乗る人物からインディアン島に招待された。 しかし、肝心の招待主は姿を見せず、かわりに見事な食卓が待っていた。 不審に思いながらも十人が食卓についたとき、どこからともなく十人の客たちの過去の犯罪を告発してゆく声が響いてきた。 そして古い童謡のとおりに、一人、また一人と…… ミステリの女王アガサ・クリスティーの最高傑作!
 “吹雪の山荘もの”と双璧を成す“絶海の孤島もの”の代表作。 しかも童謡の内容そのままに犠牲者が増えていくという“見なし殺人”の代表作でもあり、まあとにかく贅沢な一冊。 絶海の孤島での連続殺人を扱ったミステリは数あれど、タイトルの通り登場人物全員が殺されて“誰もいなくなってしまう”という非常に大胆なミステリーが提示される。 ミステリを読んだことのない人にもオススメの一冊。
 夏樹静子『そして誰かいなくなった』、今邑彩『そして誰もいなくなる』、西村京太郎『殺しの双曲線』、ジャック・マール&セネカル『11人目の小さなインデアン』等々、とフィーチャー作品が多いのも本作のインパクトの強さの証明である。
ナイルに死す Death on the Nile, 1937

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加島祥造訳 ハヤカワ・ミステリ文庫 ISBN:4-15-070076-1 [ bk1 / Amazon ]
社交界の花形であり財産家でもあるリネットと失業中のサイモンのハネムーンには、暗雲がたれこめていた。 婚約者を奪われたジャクリーンが拳銃を手に二人の行く先々に現われ、いやがらせをするのだ。 同じナイル河観光船に乗り合わせたポアロは、そんな彼女の振る舞いを押しとどめようと試みたが、やがて恐るべき惨劇は起こった! ポアロの名推理が暴きだす意外きわまる真相。 ロマンとミステリが鮮やかに結合した最高傑作
 オールスターキャストで映画化された「ナイル殺人事件」(1978/英)の原作。 クリスティは二度目の夫で考古学者のマックス・マローワンに同伴して何度も中東を訪れており、本作の他にも『メソポタミアの殺人』『死との約束』『死が最後にやってくる』『バグダッドの秘密』など中東を舞台にした作品が多い。 作中の犯罪トリックも群を抜いて鮮やかだが、中東を舞台とする雰囲気の妙と人間関係の複雑さがこの作品の最もすばらしいところである。
 僕はこの作品に触れて(正確には映画を観たのが先)、クリスティにハマる前にエジプトに夢中になってしまい、ついにはエジプトの遺跡発掘に参加するに至ったのであるが、そんな意味でも大きな影響を受けた作品である。 でもナイル河クルーズはまだ未体験。いつか、きっと。
春にして君を離れ Absent in the Spring, 1944

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中村妙子訳 ハヤカワ・ミステリ文庫 ISBN:4-15-040038-5 [ bk1 / Amazon ]
優しい弁護士の夫、結婚して何不自由なく暮らす子どもたち―― 理想の家庭を築き上げ、ジョーンは満ち足りていた。 そんな彼女に心の迷いが生まれた。 娘の病気見舞いを終え、バグダードからイギリスへ帰る途中で旧友に会った彼女は、その時の会話がもとで、今までの生活を見つめ直していく。 やがて思わぬ事実が次々と浮かび上がってきて……。 揺れ動く女の心を繊細に描く傑作。 ミステリの女王が贈る愛の小説シリーズ第1弾
 メアリ・ウェストマコット名義のロマンス小説。 犯罪は起きないし、探偵が謎を解いたりもしない。 それでも“クリスティらしさ”に溢れている作品だ(と思う)。 主人公はイギリスに帰る途中で交通事情による足止めにあい、早い話が手持ち無沙汰になってしまう。 それまで自分の責務を果たすことに忙殺されていた日常が途切れ、突然、止まった時間の中に放り出されてしまうのである。 彼女は自分の人生を振り返り、そして徐々に気がついてしまう。 自分の人生が、自分が今まで思い描いていたような完璧なものでなかったことを。
 物証ではなく心理面から推理を進めるエルキュール・ポアロ、日常会話の中のちょっとした一言から矛盾を暴きだすミス・マープル、これらの特徴がこの作品の中に十二分に活かされている。 確かに死体もトリックも探偵も出てこないが、その分、あまりにも身近なテーマであるともいえる。
ホロー荘の殺人 The Hollow, 1946

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中村能三訳 ハヤカワ・ミステリ文庫 ISBN:4-15-070028-1 [ bk1 / Amazon ]
アンカテル卿の午餐に招かれホロー荘に来たポアロは少なからず不快になった。 邸の庭にあるプールの端に一人の男が血を流して死んでおり、傍らにはピストルを手にした女が虚ろな表情で立っていたのだ―― いくら彼が探偵とはいえ、こんな歓迎の仕方は見当違いのユーモアのセンスというものだ! ポアロはいささかうんざりした。 しかし……死体は本物だった。 殺されていたのは、やはり午餐に招かれたジョンという医師で女はその妻だった。 果して、これは殺人なのか? ホロー荘に集った人々の心理葛藤のなかに真相を読むポアロ。
 まるで犯罪自体が関係者の憎しみと不安と優しさを糧にして、生き物のように変化しているような印象を受ける作品。 ある人間の意思が事件に方向性を持たせ、別の人間の思惑がそれを捻じ曲げる。 トリック自体は鼻で笑ってしまうようなものだけど(これもクリスティにとっては計算内)、事件を複雑にするのはトリックだけではない、ということ。 こうなると合理的な推理は無理な話で(クイーンだったら解決できないかも)、心理面からの推理を得意とするポアロだからこそこの難事件を解決できたような気がする。
 「危険な女たち」というタイトルで日本で映画化されていて、あまり出来がいいとは言えないんだけど、大竹しのぶが異常なまでにハマリ役。
予告殺人 A Murder Is Announced, 1950

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田村隆一訳 ハヤカワ・ミステリ文庫 ISBN:4-15-070007-9 [ bk1 / Amazon ]
《ギャゼット》紙を目にした町の人々は一様に驚きと不審の声をあげた。 “殺人お知らせ申し上げます……”こんな広告が麗々しく紙面を飾っていたのだ。 これはいったい何事だろう? 気の利いた遊戯か、単なる悪ふざけか…… しかし、予告の時を告げる時計の音と同時に銃声が響き渡った。 悪ふざけではなかった。 世にも大胆な、怖るべき殺人予告だったのだ! ポアロと並び称される名探偵、饒舌で詮索好きなオールドミス、ジェーン・マープルが暴いた真相とは?
 新聞に殺人予告が掲載され、住人たちは不安がったり悪趣味だと憤慨しながらも、“いそいそと”その場に集まってくる(この部分、読んでて面白い)。 そして、悪ふざけやゲームだと思われていたにしろ、関係者全員の注目の真っ只中で本当に殺人が起きてしまうのである。 よくもまあ、こんな大それたプロットを思いついたものである。 そしてこの大胆無謀な設定を、まったく無理のないストーリーとして収束していく構成力は、さすがクリスティである。 動機の設定も非常に説得力がある。
 余談だけれども、作品中に“Delicious Death”(甘美なる死)という名のお菓子が出てくる。 僕が別サイトで運営しているクリスティのホームページのタイトルはここから採った。 チョコレートとバターをたっぷり、あと砂糖と干し葡萄も使った、「食べたら死んでもいい」くらい美味しいケーキなのだそうだが、どんな味なんだろう。
鏡は横にひび割れて The Mirror Crack'd from Side to Side, 1962

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橋本福夫訳 ハヤカワ・ミステリ文庫 ISBN:4-15-070019-2 [ bk1 / Amazon ]
「鏡は横にひび割れぬ/ああ、わが命運もつきたりと/シャロット姫は叫べり」 引越し祝いのパーティの席上、ミセス・バドコックを見たマリーナの凍りついた表情はまさにこれだった。 セント・メアリ・ミードの町並みも変わった―― そんな想いで散歩を愉しんでいたマープルは足をとられ転んでしまった。 と、その時、一人の婦人が親切にも抱き起してくれた――ミセス・バドコック。 そしてしばらく経って催されたパーティの席上、彼女は変死を遂げた。 マリーナと言葉を交わした直後だった。 奇しき因縁に操られた殺人の謎に挑むマープル!
 何がすごいって動機の設定。 クリスティが書いた100冊近いミステリの中で、一番説得力のある殺人の動機である。 「そりゃ殺すわな」というのが正直な感想。 そしてこの動機は、ある意味クリスティがこだわり続けた“あるテーマ”の延長線上で必然的に発生したものでもある。 下記の映像化でも、この部分は充分に描ききれていなかったので、映画を見た人も、是非、原作を読んでいただきたい。
 映画化され、日本でも「クリスタル殺人事件」(1980/英)というトンデモない邦題で公開されているが、往年のハリウッドスターの華やかな同窓会という感じが否めない。 ジョーン・ヒクソン主演のBBC版(1992)の方が原作に忠実でよい。
スリーピング・マーダー Sleeping Murder, 1976

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綾川梓訳 ハヤカワ・ミステリ文庫 ISBN:4-15-070085-0 [ bk1 / Amazon ]
これこそ望んでいた家だわ!とグエンダは思った。 ディルマスで見つけた小さなヴィクトリア朝風の売家。 ニュージーランドから来たばかりの若妻はその別荘をすでに隅から隅まで知っているような気がした。 そして、家の中の階段をおりかけたとき、いい知れぬ恐怖が体をかすめた。 家には幽霊が出るのでは、あるいは誰か亡くなった人がいるのでは? 部屋の戸棚の中から現われた古い壁紙を見て、彼女はさらに動揺した。 この古い壁紙の模様をなぜわたしは頭に想い描くことができたのか…… 回想の中の殺人を今に甦らせるミス・マーブル最後の事件。
 クリスティが得意とした“回想の殺人”の代表作である。 何年も、ことによっては何十年も昔におきた犯罪を、関係者の証言(=回想)から推理していくのである。 当時その場に居合わせた人の話を聞きながら、思い込みや装飾を殺ぎ落として事件を再構築し、証言のちょっとした食い違いから事件の真相に迫っていく。 物証がない分、会話中の伏線の張り方は緻密で、解決の際のインパクトが大きい。 そして長い時間、真実と共に潜み続けてきた悪意というものに恐れを感じないではいられない。
 クリスティの“回想の殺人”は他に『象は忘れない』『五匹の子豚』『復讐の女神』などがある。
ABC殺人事件 The ABC Murders, 1936

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田村隆一訳 ハヤカワ・ミステリ文庫 ISBN:4-15-070083-4 [ bk1 / Amazon ]
今月の21日、アンドーヴァを警戒されたし―― ポアロのもとに送られてきた挑戦状どおりの殺人は起こった。 Aの頭文字の老婆が撲殺されたのだ。 つづいて第二、第三の挑戦状が届き、ベクスヒルでBの頭文字の娘が、チャーストンでCの頭文字の初老の紳士が殺された。 しかも現場には必ずABC鉄道案内が残されていた。 アルファベット順に殺人を繰り返す犯人の意図をポアロは必死につかもうとするが…… ミステリの女王全盛期の代表作
 一見、無差別のように見える連続殺人の中に、その関連性と犯人の真の目的を探る“ミッシング・リンク”ものの代表作。 ABC順に予告殺人が進行するという設定自体にインパクトがあるし、展開の方もテンポがよくて読みやすい。
 小学生の時にあかね書房の児童向けリライト版で読んだ、最初のクリスティ作品である。 その点でも僕にとっては印象深い作品。
検察側の証人 Witness for the Prosecution, 1954

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加藤恭平訳 ハヤカワ・ミステリ文庫 ISBN:4-15-070054-0 [ bk1 / Amazon ]
人好きのする愛想のいい青年レナード・ボウルは殺人罪で起訴された。 仕事を手伝っていた金持ちの婦人を撲殺したというものだった。 犯行のあったと思われる時刻に、家政婦がレナードの話し声を耳にしているらしいし、レナードは妻がいることを隠し、金目当てで婦人に近づいたふしもある。 案の定、裁判は弁護側にとってあくまで不利だった。 しかも、レナードのアリバイを証明できる唯一の証人である彼の妻はなんと夫の犯行を裏づける証言をしたのだ! 英米でロングランを記録するあまりに高名な裁判劇。 衝撃的な結末は思わず読者をうならせる。
 ラストのどんでん返し、インパクトの大きさでは群を抜いている。 裁判劇が苦手な人でも、我慢してこの結末までたどり着くべし。 裁判の過程の検察側と弁護側の駆け引きも充分おもしろい。
 ビリー・ワイルダー監督、マレーネ・ディートリヒ主演の「情婦」(1957/米)も大変いい出来である。 こちらも是非。
ゼロ時間へ Towards Zero, 1944

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田村隆一訳 ハヤカワ・ミステリ文庫 ISBN:4-15-070008-7 [ bk1 / Amazon ]
静寂につつまれたその部屋にはたった一人の人間がいるだけだった。 そして物音といえば、その人間が滑らせるペンの響きばかり……。 だが、もし誰かがその文章を読んだとしたら驚愕の色を隠すことはできないだろう―― そこに綴られていたのは、細心の注意と努力を払って練られた綿密周到な殺人計画だったのだ! そして数ヵ月後平穏な漁村で起った残忍な殺人……。 つねに殺人ではじまる従来のミステリの常識を破り、殺人の企てられる瞬間から殺人の瞬間《ゼロ時間》へと遡っていく―― 才気溢れるクリスティーの野心作。
 倒叙物といえばいいのだろうか、叙述トリックというか、とにかく作品自体に仕掛けがある。 読んでダマされて下さい(笑)。
 殺人犯といえば大抵悪いやつで嫌なやつで友達になりたくないやつなのは当たり前なんだけど、執念というか、悪意(の塊)というか、とにかくこの作品の真犯人はずば抜けてそんなやつ。