コラム(1)


【IMAM Ro41戦闘機・練習機】

初駄文がいきなりドマニアックでスミマセン。とりあえず、第二次大戦前後のイタリア機のお話でございます。
この機体に興味を持ったのは、「紅の豚」のロマンアルバムに載っていたエッセイからです。
著者は芸術評論家の田之倉稔氏。ムッソリーニの次男ブルーノが、スペイン内乱にフランコ政権側義勇兵として参加した時、共和国側のアメリカ人義勇兵と空の一騎打ちをした際に使用した複葉戦闘機がRo41だったというのでした。
ちなみに相手はボーイングP−26。結果はブルーノが優勢だったのに一瞬の隙で逆転され、負けを認めて引き上げたそうです。

この機体、「第二次大戦フランス・イタリア機」(デルタ出版)には「採用されなかったようだが、何の資料も無くお手上げ」 と書かれ、「第二次大戦軍用機ガイド・ヨーロッパ諸国編」(原書房)にも「試作で終わった」と書かれていたくらいマイナー戦闘機でした。

しかし、数年後に古本で仕入れた週間エアクラフトには、全く違う展開が描かれていました。
Ro41は、確かに戦闘機としては不採用だったものの、2年後に練習機として採用され、3社で単座型と複座型が併せて700機も生産され、一部は補助的に戦闘機として配備され、戦後も少数が再生産されたというのです。

これなら、イタリアの軍用機マニアなら、日本での99高練ぐらいの知名度はある筈。…ってのも微妙といえば微妙ですが、日本のWWU軍用機オタで99高練を知らない人はいないでしょう(ですよね?)。
そんな機体が、日本ではこれほど無名だったというのがまたなんとも。

ちなみに、エアクラフトの記事によると、開戦時には「ほとんど」が飛行学校に戻されていたそうで…という事は、一部はまだ実戦配備されていたのかも。もしそうなら、「WWIIに参加した最小出力の戦闘機(380馬力)」という偉大な機体だったのかもw
それらを知った後で、「第二次大戦フランス・イタリア機」を読み返したら、巻末のシリアルナンバーリストに、Ro41の生産台数がちゃんと載ってました。本文を書いた人に教えてあげればよかったのに…;

ちなみに、今ならRo41についてググれば、上記のような情報が載っているサイトもすぐに見つかります。それどころか、ようつべでRo41で検索すると、ファシスト空軍のニュース映画らしき画像がひっかかります。十機以上のRo41が次々と離陸していきます。もうお祭り状態です^^;

結論:ミリオタにとって良い時代になったものです(ぉ


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