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二宮町の「桜美園問題」とは?


桜美園問題を考える会 国弘


          
 いかにも優美な名称の「桜美園」は正式名を「二宮町環境衛生センター」といい、二宮町営のごみ処理施設です。町の北東、大磯との境の山の中腹にあります。昭和51年に「し尿焼却施設」、昭和56年には「一般廃棄物焼却施設(12トン炉3基)」及び「最終処分場」が同一敷地内に建設されました。昭和40年代から東京のごみ戦争を初めとして高度経済成長によるごみ増加とその焼却処理が、そして昭和58年には都市ごみの焼却灰からダイオキシンが検出されたということが問題になり始めていた頃です。すでに「ごみ焼却の危険性」がはっきりわかっていた時期なのです。「廃棄物と処理に関する法律」が整備され焼却炉については構造指針が示されていたにもかかわらず、ストーカがなく焼却灰と未燃ごみを分離できない固定床式バッチ炉と有害物質浸出防止のシートのない最終処分場を二宮町は建設しました。施設自体が超旧式であることに加え、杜撰な維持管理によって黒煙が排出され続けていても当時住宅の少ない二宮のはずれに位置し山の中腹で木々に囲まれ人目につかないことから特に大きな問題にはされて来なかったようです。同一場所でし尿、ごみを焼却し、隣接の処分場に捨てるという1ヶ所集中方式の桜美園は行政にとってはまことに都合の良い施設であったことでしょう。このようにごみは安価に手間をかけず効率的に目の前から消えてなくなりさえすれば良いという行政主体の発想で建設、運営されてきた桜美園のさまざまな問題点は、平成5年頃から徐々に入居し始めた隣接住宅地「緑が丘」の住民によって明らかになってきました。当住宅地は二宮町区画整理事業として町と最大地権者である大手生命保険会社D社が中心的に開発に関わったものです。当地が宅地化されることは桜美園が建設される何年も前にすでに町の都市計画審議会で承認されていたのですから「桜美園問題」は起こるべくして起きた行政による「未必の故意」といわざるをえません。桜美園の問題は、住宅地に隣接し非常に近いということ、煙突が低く拡散の役目をはたしていないこと、炉の設備が現在は使われていないほどの旧式炉であることなどです。桜美園は斜面の上方で起伏のある場所に位置していますが、これは排煙の拡散を阻害し局地的に高濃度の汚染を招くといわれています。緑が丘住宅地は有害ガスの滞留が懸念される盆地状の地形でもあります。無きに等しい高さの煙突から排出される煙はダウンウォッシュ現象を起こし住宅地に帯のように流れ落ちて行きます。ピットアンドクレーンがなくごみの均質化が出来ないためごみ袋ごと炉内に投入された水分いっぱいのごみは、翌朝灰をかきだすまで低温蒸し炊きの「埋火」が長年にわたり続けられていました。平成14年規制強化に適合させるため、とりあえず灰出し用の火格子を設置しましたが工事後2ヶ月もしないうちに同装置から火災事故が発生し、超旧式な炉の改修工事の限界や問題点を浮き彫りにしました。平成8〜10年にかけての焼却炉の新設、改修工事時に煙突延伸の絶好の機会があり、コンサルも強く町に進言したにもかかわらず「煙突が高くては住宅地が売れない」という理由で現状の極めて低い高さに抑えられてしまいました。住民の安全や健康は二の次という町の姿勢が今日の「桜美園問題」を招いているのです。昨年11月に正確な汚染実態を知るため住民が専門家に依頼し実施した木の葉に付着した煤塵による詳細な汚染実態調査で施設周辺の汚染状況が明らかになりました。「所沢よりひどい」大粒煤塵の飛散と広範囲の高濃度汚染というショッキングな調査結果に対し二宮町は「木の葉のうどんこ病」であると無視し、今年度300万円の予算をとり住民不安を取り除く?ための対抗調査をする予定です。
 住民の目線に立つことなく住民との対話すら拒否し抜本的な改善を進めようとしない状況に、健康被害・生活被害をこれ以上我慢し続けることは出来ないとして一部住民がやむを得ず昨年5月に二宮町を、今年1月には二宮町への指導・監督を怠ったとして神奈川県を提訴しました。 「きれいな空気のもとで健康で安全に暮したい」というあたりまえのこと、ただそれだけを求めて住民の地道な戦いは今も続いています。
                              我が家の防災対策、環境問題のページ(二宮町・桜美園問題はこちらから)

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