寄稿

平塚市長選を再び無風選挙にするな


北村


       
 平塚市長選はオリンピックと同じ、四年に一度めぐってくる全国地方自治体の統一地方選の中で行われる。告示−投票は今春四月末。三ケ月後に迫っている。
 現職の吉野稜威雄市長は昨年十二月の定例市議会で市議の質問に答え、三選出馬を表明した。これに対し、三選阻止を旗印に名乗りを上げようとしている対立候補者はいまのところいない。今期の二期目を目指した吉野市長に待ったをかける立候補は一人もなく、吉野市長が無投票で再選された。有権者市民は貴重な一票を投ずる機会を失い、女性一人を含む四候補が激戦を繰り広げた対岸の茅ヶ崎市長選を傍観していた。
 この一年間余、県内で行われた首長選挙を見てみよう。一昨年十月の鎌倉市長選と、同十一月の川崎市長選は、共に五人が立候補する激戦、昨年一月の秦野市長選は三つどもえ、同三月の横浜市長選は現職対新人の一騎打ちだった。政令都市の横浜、川崎市長選では多選をめざした現職市長が共に敗れた。十一月から十二月にかけて行われた中井、二宮、大磯の三町長選、逗子市長選も一騎打ちや三つどもえの選挙が行われ、無投票の首長選は十二月三日告示の大井町長選だけだった。来年二月の厚木市長選は現職と新顔の女性候補の対決が予想され、平塚市と同時に行われる南足柄市長選は現職の引退をうけて、新人候補二人が一年前の昨年四月に名乗りを上げている。
 平塚市の有権者は九月末現在、二十万三千百五十四人。市長選に立候補できる二十五歳以上の被選挙権者は約二十万人もいる。市長選には他市町村居住者でも立候補できる。だのに、吉野市長の対抗馬は一向に現れない。人材不足なのか。そんなことはないと思う。吉野氏は今期に無投票当選を決めた時「前回の選挙で大勝し、その後も日常的な後援会活動を進め、組織を強固にしたせいか、対抗馬を模索する動きが見られなかった」と言い放った。強大な組織力と豊富といわれる資金力を有する吉野市長に挑戦しても勝ち目がないとして、みんなが尻込みしている説もある。が、私は市長選がかくも低調であるのは、衆院選がかっての中選挙区制から小選区比例代表制に変わったことを、第一の理由にあげたい。平塚市は故河野一郎代議士以来の河野王国、保守の金城湯池である。中選挙区時代は五区内最大の票田だったため、複数の保守(自民)候補が選挙事務所を構え、激しい陣取り合戦を展開した。市長選はその延長線上で争われ、保守系市長候補の対決になると支持者は、河野派と反河野派(この中には元河野派もいた)に分れ、骨肉の争い。衆院議員の代理戦争ともいわれ、商業沈滞の中心街が熱く燃えた。それが小選区制の導入で保々対決が解消、様相は一変した。若い自民党の河野太郎代議士は選挙区に波風を立てるのを避けたいハラか、「吉野市長の対抗馬は出さないでしょう。(昨年八月急逝した河野洋平氏の秘書、井出守氏から私が直接聞いた話)」というのである。
 吉野市長は今期が無投票だったため、平成七年の初当選以来、市政の是非についてまだ一度も有権者市民の審判を受けていない。選挙は民主政治の根幹である。無風選挙は民主主義の否定、空洞化につながる。来春の平塚市長選を二度も無投票にしてはならない。大磯町居住者である私が何故に、平塚市長選にヤキモキしているのか。私は元朝日新聞地方記者で平塚通信局を十年間も担当した。地方記者は任地を愛し、住民とのふれあいを大切にする。今も平塚を生活の場としており、第二の故郷のようにこよなく愛しているからである。私は昨年四月末、「湘南ひらつか市長選物語 付・河野三代」という書名の本を朝日新聞出版サービスから自費出版した。平塚市長選についてはだれよりも詳しく知っていると自負している。その本の終章で選挙がらみの論功行賞人事や住民を無視してマンション建設業者の利益を優先した行政を例に挙げ現市政を辛口批評し、対立候補が出馬しやすい土壌づくりに努め、「二度と無投票選挙はないと確信している」と記した。「平塚市長選を有風に」の水面下の動きに期待している。

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