自治・市場化・協働


赤松



 
 平塚での自治基本条例の検討も策定委員会のスタートやフォーラムの開催等新たな段階へと入って来ている。そこで今回は民主主義と市場経済、協働と市民活動、といった問題について若干触れてみたい。
 まず、民主主義と市場経済という問題についてである。いささか大きなテーマで何事かとお考えの読者の方も多いであろう。しかし、いわゆるプライバタイゼーション(市場化)がきちんとした時代認識無しに進行していくことを今改めて問い直すことが必要である。言うまでもなく日本は資本主義国である。けれども一方で世界で最も成功した社会主義国であると評されたこともあるし、反面極めて資本主義的とみなされたこともあった。いずれにしてもこうした状況も認識しつつ、産業と公共と民主主義について問うことが求められていると言える。
 現代の多様化した公共の役割を担っていく為には専門機関としての行政機関は必要不可欠であるし、その維持に税収は欠かせない訳でその為に産業の振興も不可欠である。だが、行政機関の肥大化はその透明性の喪失等様々な問題をもたらす為、厳に慎まなければならない。勿論、現代の国際競争の時代状況の下にあっては、税源は極めて限られたものになるから単純に行政が肥大化するような状況にあるとは言えないのかもしれない。その様な状況下でプライバタイゼーションが進行しているのである。プライバタイゼーションは基本的に市場主義に基くもので商品という概念を基本に置いたものである。市場主義は単純である。だからといって透明性や効率性が確保され、尚かつサービスの質が向上するかと言えばそうとも言い切れない。なぜなら、市場自体の公平性や透明性が充分確保されなければならないからである。この点、これ迄公共事業でしばしば問題となってきた政官業の癒着の様な事態も当然起こり得る。更にサービスの多様化がプライバタイゼーションの原因であり結果でもあるとも指摘されるところであるが、それは別の側面から見れば格差の拡大であるとも捉えられるであろう。当然、結果の平等を前提とした社会ではないから一定の格差は必ず生ずる。その上で、完全な自由主義経済等あり得ず、ある程度修正資本主義的であることが必然であると考えることが求められるのではないだろうか。更に言うならば、資本主義市場経済の論理だけで地域を考えること等あり得ないと言えるだろう。公共の分野に市場主義を持ち込むこと自体決して間違っている訳ではないが、そこでは健全な市場主義的透明性と市民による高い公平性を持った評価を並存させることが求められるだろう。そうでなければ、敢えて言うならば公共のサービスが基本的に市場主義の原理によってコントロールされ、民主主義的コントロールが充分に機能しえなくする事態さえ想起されるからである。

 次に、協働と市民活動という観点で考えてみたい。先に述べたプライバタイゼーションや民主主義的コントロールも一種の協働と言えるのだけれど、ここでは協働と市民活動をどのような文脈で考えていくべきなのか検討してみたい。
 端的に言うならば、プライバタイゼーション的な協働であろうと民主主義的な協働であろうと行政や地域との適切な距離感を持ち続けることが絶対条件であるということである。そうでなければ、これ迄の政官業の鉄のトライアングル構図的には大差ない、いやそこに従来であればその外に存在し得た市民迄も取り込まれるという状況が発生しかねないのである。この様な認識無くして協働という概念に軽々に飛びつくことは危険以外の何物でもないであろう。
 
 

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