終らない戦争(隠匿された毒ガス兵器)

―相模海軍工廠・寒川と平塚にあった 秘密毒ガス工場 V―


北(プロデューサー)





 海軍の毒ガス工場・相模海軍工廠(寒川・平塚)跡地から発見された毒ガス兵器(2002年9月から2004年)は、びらん性毒ガス・イペリット、ルイサイト(3号特薬甲、乙)、催涙性ガス・クロロアセトフェノン(1号特薬)、致死性、血液毒ガス・青酸ガス、シアン化水素(4号特薬)の入ったビール瓶、球状瓶等であり、他に煙幕用として硫酸瓶もあり、総数は寒川では806本、平塚では445個にのぼった。これらの毒ガスは2004年8月までに無害化処理を終えたと国土交通省は発表しました。イペリット(マスタード)・嘔吐性毒ガス・ジフェニルシアノアルシン(2号特薬・陸軍では「あか」)・青酸(シアン化水素)も検出されている汚染土壌は年内に無害化するという。寒川・平塚の工事現場の跡地は、発表通り安全・無害化されたのでしょうか。他に毒ガスは埋まっていたり、土壌・地下水は汚染されていないでしょうか。
 今回発見された現場は、かって海軍毒ガス工場の、ほんの一部の限られた地域であり、それも、たまたま国交省の道路建設(相模縦貫道)、地方合同庁舎建設現場の一部にすぎず、その場に隣接する地面は調査することもなく、その場限りの一応の安全化と称して「安全宣言」を出したにすぎません。国交省は、この二つの件に関し、住民に説明会を開くつもりはまったくない。
  2003年11月環境省が、あまりにもずさんだった昭和48年旧海軍毒ガス調査(全国で78件、死者4名、負傷者129名)のフォローアップ調査報告書を作成、全国規模での遺棄毒ガスの再調査を開始すると発表、それによれば、全国134ケ所にのぼり、神奈川県内だけでも12ケ所にのぼっている。寒川・平塚はランクAにあたり、危険度が最も高く、2004年1月からとりあえず水質・土壌の検査が始まりました。何故とりあえずなのかと言えば、検査地が国の土地(公園等)で、それも表面が土。更に3mまでしか届かないレーダー探査…・・。水質検査も周辺(工廠跡地)の井戸水に限ってでのもので、民営地を含めて毒ガス工場、更に関連施設全域のものではない。
 2004年9月2日環境省は井戸水から3種類の有機ヒ素化合物が検出されたと発表。平塚の海軍技術研究所跡地(現・美術館・警察署・高砂香料・不二家・パイロット・八幡公園等)周辺の井戸216ケ所のうち7ケ所から2号特薬(あか剤)の成分が検出され、この成分は2003年茨城県神栖町の井戸水から発見された毒ガス成分ジフェニルアルシン酸と同じものであり、神栖町の健康被害は深刻な状況を呈しており、治療法もなく、汚染源の特定も、この秋以降大規模に行うとしているにすぎない。平塚で毒ガスが発見されたのは今回に限らず戦後何度となく発見され、その場限りの“処理”で終らせてきました。主な事例をあげれば“昭和20年代にはイペリット入り瓶、昭和34年80発の迫撃砲ガス弾(不二家)、昭和37年イペリット弾(高砂香料北側・ほぼ同じ所から昭和52年イペリットガス弾85発)、昭和43年3月には毒ガス(2号特薬・あか)の原料のフェニール亜ヒ酸50tがドラム缶500本以上野ざらし(現・三共化成)、昭和52年6月にはベークライト製・金属容器に入った2号特薬(あか)・嘔吐ガス120kgが発見され、いずれも横須賀から海洋投棄されている。平塚で多くの毒ガスが研究・開発・製造されてきたことは前号でもふれていますが、2号特薬(陸軍では「あか」)嘔吐剤・くしゃみ剤は相模海軍工廠平塚工場が抜きんでていました。戦後米軍GHQ宛の海軍報告書に海軍中佐北里又郎が記しています。昭和20年9月9日保有状況として、クシャミ(2号特薬)寒川本廠23,850t、平塚工場72,800t、中口径砲用型薬缶、平塚工場1,035t…・・。平塚工場は寒川に本廠を置くはるか以前から海軍技術研究所として毒ガス研究・製造を行っており、特に窒息性毒ガスのホスゲン、そして2号特薬(あか)、4号特薬(青酸)、イペリットより強力な窒素イペリット等を大量に生産していました。平塚海軍技術研究所跡地、寒川本廠跡地、その関連施設はのみならず、平塚にある第2海軍火薬廠全域の土壌・水質検査・遺棄隠匿された毒ガス兵器の発見・無害化は一刻を争う問題です。国はもとより、市も県も過去を直視し、歴史的事実を明らかにし、恒久的な安全対策を講じる義務と責任がある。これは平塚市、寒川町に限ったことではなく、国内外を問わずです。  

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