いのちの本質を問いかけるno5

水への思い


石井



 前回(No6)と重なるが、平塚市民の全ゴミ(厨芥類共々)を5年間捨て続けている所へ、昭和52年(1977年)廃掃法の変更に沿ってか、下水上一般廃棄物最終処分場との掲示がなされ、水浄化施設が三笠川縁に造られた。ゴミからの汚水を集める手立てが気になり、掘り下げられ、直線化され、コンクリートで三面張りにされた三笠川の縁に立ち、平塚市職員に説明を求めた。しかし、工法や浄化施設の機能などの書面もなく説明もなかった。
 水浄化施設際から、三笠川に常時一定量の如く流れ出ている水に対して質問すると、、井戸が掘られたという。その井戸水の使われ方も、納得した説明に至らない。
 昭和55年(1980年)、二つ目の一般廃棄物最終処分場建設が、土屋地域の遠藤原に予定されているとの噂に、水を汚すまじく即刻動く。土屋内の自治会役員、長老、顔役、井戸水使用者宅を訪ねた。「貴重なこの水大事にしなければ、奇麗な地下水源をもつ地にゴミを集めたら天罰があたる。」との意の大勢に、K議員を招いて処分場関係の話し合いの場を持つ。「管理型だから水は汚れない。」と言うが、集まった人達は水の汚れへの不安は隠しきれず、学習会を持つ。議員との集会を三回持った後、議員を離れ、自治会に図って[土屋のゴミ問題を考える会]をつくり、「土屋の水と緑を守りましょう。」と動き出す。
 環境問題(特にゴミ)の熟知者方が、善意で平塚市遠藤原一般廃棄物最終処分場(以下、遠藤原処分場と記す)予定地へ足を運んでくださる上で、下水上処分場まで歩をのばしてくださる。構造図は、と問われるが、「以前、市職員に現地立会いで説明を求めたが、何れも説明して貰えなかった。」と告げると、処分場周辺を巡り、浄化施設に寄る。「音がしないね。」と言い、「今日は、日曜日だから。…・・?!」と笑う。川に落ちる水が虚ろに目に入った。
 飽食酔いの中での廃掃法の制定に、処分場の狙い目は過疎地。過疎地は概ね調整地域で奇麗な水源を持つ地。これらの各地に廃棄物処分場が続行されたら、この国の水、どうなる。唯一この国の資源と私が思い崇める水の質、守りたいと願わずにはいられない。人は生物と概念する私は、ゴミ(廃棄物)を水源地に集めるなど識者の考える事ではあるまいと驚愕する。管理型としていかなる技巧、技能を用いようとも、汚した水は元によみがえらない。
 ゴミ問題の解決は、倫理観を根幹に置かねばと強く思う。…命の前に…自然の前に、時代錯誤といわれようとも。

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