日常茶飯

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#56 
目次

麦茶

 新聞やテレビのニュースは猛暑で、暑い暑いと云(い)っている。 わざわざ云われなくてもきょうは暑かった。 天気図を見ると梅雨前線はあるから梅雨は続いている筈でも、 梅雨前線にかからないところに住んでいると、もう夏じゃないかと思って仕舞う。

 朝から入道雲が現れて、蒸し蒸しするから、家では冷やした麦茶をゴクゴク飲んでいる。 六条麦茶は煮出しや水出しでも出来るが、矢っ張り蒸らすに限る。 ヤカンのお湯が沸騰すると火を止めて、すかさずパックを入れて蓋をする。 その儘(まま)荒さましするのである。 一時間経ってもまだまだ熱い。 ここでパックを取り出して、ビニール袋に氷を詰めて蓋の上に乗せると、 氷が溶けた頃には冷めているから、ボトルに移して冷蔵庫で冷やす。 すると雑味のない芳ばしい麦茶が出来上がる。

 と、まあ講釈はどうでもいいとして夕方家に帰るとき、空は俄(にわか)に暗くなった。 雨がぽつりぽつりと落ちだして、玄関先に着いたときに稲光がする。 その直後、花火を打ち上げたような落雷があって、雨がざあざあと降り出した。 危機一髪。
'06年07月15日

附録

 毎週水曜日発売のニューズウィーク日本版の今週号は通常より50円高い価格450円。 「丸ごと一冊海外ドラマ」と題して付録にDVDをつけた。 米人気テレビドラマ「デッド・ゾーン」と「4400」の第1話を収録している。 思いつきの企画かどうだか知らないけれど、ドラマを丸ごと収めたのは業界初だそうで、 つい面白がって買った。

 この雑誌は以前は欠かさず目を通していたが、5年ほど前に止めた。 創刊のときに、親会社のワシントン・ポストの会長だった故・キャサリン・グラハムが条件を付けた。 単なる英文和訳の雑誌にしない事と云うものだった。 確かにこなれた日本語の文章で、 新聞系の雑誌とは違って読ませる文章だった。 それが版元のTBSブリタニカから鉄道会社の関連企業に変わって様子が変わった。 それから読まなくなった。

 ドラマ「デッド・ゾーン」はスティーブン・キング原作で、ホラーかと思ったが、そうではなくまずまず面白かった。 主人公の高校教師ジョニーは婚約者サラとの結婚を控えたある日、交通事故に遭い昏睡状態に陥る。 それから6年後、眠りから覚めたジョニーは、誰かの手を触れると、その人の過去から未来を透視する超能力が備わっていた。 見舞いに来たサラの手に触れて、彼女は既に別の男と結婚していることを知り愕然とする。 超能力を題材にしているが人物描写の結構うまいドラマだった。

 ダイアルアップでネットに接続していた時分、 ソフトをダウンロードするのは面倒で付録のCD-ROMを目当てに、安くてどうでもいいようなパソコン雑誌を買うことがあった。 ウイルスバスターの体験版は、登録しているシリアル番号を入力すれば製品版になったのである。 だって、お皿が目当てだもの。雑誌の方は捨てた。
 すると、このニューズウィークの値段はどうだろう。 50円をDVDの価格とするのか、それとも読まなくなった雑誌だから450円はドラマ2話分の値段なのかと考えた。
'06年07月14日

決定版

 昭和二十年八月十五日をめぐる二十四時間を再現したノンフィクション、 半藤一利さんの『決定版 日本のいちばん長い日』が、文春文庫の新刊として現れた。 単行本は10年ほど前に刊行されたのは知っている。 そのうち読もうと思っていたが、文庫に入ってからと云う気もあった。 尤も何でも文庫に入るのを待つわけではない。

 『ノモンハンの夏』や『ソ連が満州に侵攻した夏』は単行本で読んだ。 いまでは共に文庫に入っている。 で、『決定版 日本のいちばん長い日』の方である。 決定版と云うからにはその前があるわけで、初版は30年前、つまり、 いまから41年前の昭和四十年(1965年)に出版されている。 文庫には、その初版の序文がその儘収めてあり、大宅壮一(おおや・そういち)によるものである。 読んでいて、おやっと思った。 <文藝春秋の《戦史研究会》の人々が『日本のいちばん長い日』を企画し、手に入る限りの事実を収集し、これを構成した。 >

 初版は大宅壮一によるものとして刊行されたのだ。 半藤さんによる「あとがき」にこうある。 <当時はいろいろな事情から、大宅壮一編と当代一のジャーナリストの名を冠して刊行された。 そのお陰もあり、翌年に東宝の映画化もあり、多くの人によく読まれた。 こんど決定版として再刊行するにさいし、社を退いてもの書きとして一本立ちした記念にと、 亡き大宅先生の夫人大宅昌さんのお許しに甘えて、わたくし名義に戻させていただいた。>

 41年前は戦後20年で、関係者の多くは健在である。 同時にまだタブーとされた時代でもあろう。 <最初の刊行が三十年前のことゆえ幾つかの誤りがあったことは否めない。 不注意によるものもあるが、近衛師団長惨殺の実行者など、当時の情勢で差障りがあり隠蔽せざるをえなかったものもあった。 それらをすべて正し、新しい事実も加えた決定版をだすにさいして、名義者としての責任は明らかにしておかねばならないと思ったゆえんもある。>
'06年07月10日

百円店

 100円ショップが現れたのはいつ頃だろう。 調べてみると、大手のダイソー(株式会社大創産業)は昭和47年(1972)の創業で、 100円ショップの展開に着手したのが昭和62年と云う。 ひところは100円ショップが、あっちにもこっちにも開店して、あれよと云うまに扱う商品も増えて、 いまではこんなものまでと思うのが105円である。 100円とは考えたなあ、と思いたいが、そう云うアイデアは昔からあったようである。 『昭和恋々(れんれん)』(文春文庫)の中で山本夏彦はこう書いている。

 <高島屋のあざやかな東京進出ぶりを私は子供心におぼえている。 高島屋は関西では有名でも東京では馴染が薄かった。 大正十二年の大震災の前後東京進出の遠大な計画をたて、まず、「高島屋十銭ストア」を東京にくまなく開店させた。 何しろ十銭均一である。 これで東京人の心を一挙にとらえた。>

 以前、一番小さいネジをこじ開けようとして家にある筈の精密ドライバーを探しても見つからない。 こう云うことはよくあるので、100円ショップで買うことにした。 近所のお店に這入って見渡せば、金槌やペンチなど工具のところに6本組の精密ドライバーはあった。 これで間に合うと思ったのは浅はかで、帯に短したすきに長しだった。

 こじ開けたいネジはプラスネジで、105円のドライバーセットの一番小さい「#0」では合わないのである。 それなら後の祭りで、もうひとつ小さい「#00」のドライバーが付いてないのだから困る。 結局、スーパーの荒物売り場にあった精密ドライバーを買って用を足した。 約900円也。 後で知ったことだけど、「#00」のネジはメガネにも使われるネジである。 それがないのに精密ドライバーとは何て図々しいんだろう。

 先日はこんなことがあった。 自転車のハンドルの高さを変えようと思い、六角レンチをさがしたが見つからない。 さがしものに失敗するのは慣れっこだから、100円ショップで間に合わせようと出かけたのはいいが、 迂闊(うかつ)にサイズを確かめて来なかった。 6本組のレンチはあるが、一番大きいのが合いそうだけど、何だか小さいように見えるのである。 悩んでも埒(らち)は明かないので買って使ってみると、これが合うのだ。 なあんだ、自転車のパンクキットを売るのだから、それなら自転車用六角レンチを一本で売ればいいのにしない。 最近、閉店した100円ショップを見かけた。
'06年07月09日

七夕は曇り

 夏至から11日目にあたる半夏生(はんげしょう)も過ぎて、七夕のきょうは曇り。

 夕飯の後でスーパーに炭酸水を買いに行くと、入口の前の端っこには幾つもの短冊をつり下げた七夕竹が立っていて、 仰げば一面の曇り空だった。 いまの暦で半夏生は7月2日頃で、梅雨が明ける初夏の時候である。 だから、むかしは七夕の夜は決まって晴れた夜空で、天の川に隔てられた牽牛星(けんぎゅうせい)と織女星(しょくじょせい)が、 この夜、年に一度だけ会うと云う星の祭りを祝ったのだろうか。

 先ほどウヰスキーの封を切った。 ハイボールで呑むこの一杯。旨いんだなこれが。
'06年07月07日

知らなかった

 駅の建物の中にある本屋に這入って、ぼんやりとながめたのは徳間文庫が何冊か並んでいる棚で、 ふと見ると『人間臨終図巻 I 』が一冊置いてある。 ようやく文庫に入ったかと思ったら違っていた。 初刷は’01年3月で、今年2月の4刷である。

 山田風太郎による、およそ千人の古今東西の著名人がどんな死に方をしたかを書いたもので、 単行本が出たのは20年前だから既に絶版になっている。 文庫に入らないかなぁと思っていたのに、5年前に入っていたのは意外で迂闊だけどよかった。

 目次は「十代で死んだ人々」、「二十代で死んだ人々」、「三十歳で死んだ人々」、 「三十一歳で死んだ人々」と云う具合に構成され、誰でもいいがちょっと引いてみると、 白血病で亡くなった女優の夏目雅子。
 <やがて病状は悪化し、九月九日未明から危篤状態におちいり、 十一日肺炎を引き起こし、午前十時十六分に息をひきとった。 満でいえば花の二十七歳。
 彼女の棺が帰ってきたとき、自宅前におしかけている報道陣に、 それまでずっと彼らに悩まされつづけてきた彼女の母親は、 「これであんたたちの思い通りになったんでしょう」とさけんだ>

 坂本竜馬は32歳で死んだ。
 <もう少し生かしておきたかった、と思われる人間は史上そう多くないが、坂本竜馬はたしかにその一人である。 竜馬は同郷の岩崎弥太郎より一歳若かった。 しかも海運商事の面で、彼は弥太郎の兄貴分であった。 彼にもう十年、二十年の生命を与えてやったなら、彼が明治大財閥の創始者となったかも知れない。
 しかしその代わり、決して後代長く小説や映画のヒーローとはならなかったにちがいない>
'06年07月05日

雨の絶え間

 歌舞伎十八番の一、「鳴神(なるかみ)」は、初代市川団十郎自作で、 1684年(貞享一年)中村座の「門松四天王」で初演されたと云う。
 朝廷が約束を違えたことに怒った鳴神上人は呪いをかけ、雨を司(つかさど)る竜神を滝壺に封じ込めて仕舞う。 そのため日照りが続き、国中は旱魃(かんばつ)。
 困り果てた朝廷が鳴神上人の許(もと)へと送り込んだのが、雲絶間姫(くものたえまのひめ)と云う絶世の美女。
 絶間姫は色仕掛けで鳴神上人を惑わせ、お酒を飲ませてその神通力を失わせる。 その間に竜神を封じ込めていた封印の注連縄(しめなわ)を切る。 すると、竜が昇天し、たちまち沛然(はいぜん)たる雨を降らせた。 とまあ、芝居の筋立てはどうでもいいとして、7月になったけれど、ちっとも梅雨らしくない。

 雨はたしかに降ったが、降ったり止んだりで、また強く降ることもあったけど、 雨の日が続くと云うことはなかった気がする。 天気予報や降雨レーダのサイトをみていると、 梅雨前線は存在するが部分的で局所的にしか雨雲は居ない。 その地域や場所では大雨を降らせているのだろうけど、 激しい雨と云うのも一寸違う。 しとしとと云うような雨。 つかの間、雨が上がるとしっとりと濡れた紫陽花(あじさい)の花が何ンとも綺麗で、 いつの間にかカタツムリなんかが現れてと。 そんな記憶があるんだなあ。
'06年07月02日

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