日常茶飯

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目次

『本』の問題

 昨日の話は、以前から思っていたことで書いて清々した。 実は、佐野眞一著「だれが「本」を殺すのか 上」(新潮文庫)を買って思い出したのである。 つい何年か前に単行本が出版されたと思ったら、もう文庫化されている。 それで買った。 私は読書家ではなく、電車で読むだけだから文庫なら便利で歓迎する。 それでも、新潮社の身売り話は何度と聞くので大丈夫かと心配する。
 この本分厚いのだけれど少し読む。 関西の老舗の書店、駸々堂(創業1811年)が潰れ、 神戸で取次の商売が前身のジュンク堂が全国出店するという話を今読んでいる。
 読んで拾ったデータ。ジュンク堂書店社長は五十歳、紀伊國屋書店社長は八十二歳、旭屋書店社長は四十三歳(すべて当時)。
'04年05月29日

夥(おびただ)しい本の山

 メーカーは商品の価格を自ら決めることは出来ない。 定価をつけることは独禁法で禁止されている。 だから商品には、メーカー希望小売価格と書いてある。 商品は、日が経つと値下がりする。 そこで商品イメージを良くするために、最近はオープン価格と称して値段を隠すようになった。
 ところが、新聞・雑誌・書籍など出版物は、定価販売されている。 店頭にある本は、値下げも割引することも出来ない。 売れ残ろうと古くなろうと定価だから、書店は版元への返品が自由である。 こんな楽な商売なのは、再販制度(再販売価格維持制度)のおかげである。 保護されているのである。
 公正取引委員会は十年以上前に、この再販制度をやがて廃止すると発表したので私は歓迎した。 規制緩和である。 ところが、いっこうに廃止する気配がない。 どうなっているのかと、私は痺(しび)れを切らしそうである。
 当然、新聞や出版社、および取次や書店は、再販制廃止には大反対である。 それぞれもっともな理由をいうが、儲けが減るからである。 利権を失うことに、自ら賛成する筈(はず)がない。 新聞はときどき社説で再販制度の維持を訴えるが、説得力に欠けるし身勝手に聞こえる。
 書籍は一日当り、200点新刊が出るという。 毎日200点の本が現れて、誰が読むのだろう。 みんなくだらないものばかりである。 こんな夥(おびただ)しい本の中から、読みたい本を探すのは難儀である。 大型書店の店員は、客を押し分け一日中本を並べている。 出版は「文化」だから再販制度を維持すべきだというなら、 「豆腐」だって「文化」である。 豆腐屋さんに失礼だろが。
'04年05月28日

電池が切れるまで

 この変わったタイトルのドラマは見たことはないのだが、 カンヌ国際映画祭で男優賞の十四歳が出演してると知って、 テレビ朝日のホームページを見てみた。
 長野県安曇野(あずみの)にある病院の院内学級を描いたドラマだそうだ。 タイトルは宮越由貴奈さんという少女が書いた詩「命」からとったのだという。 その少女は、神経芽細胞腫(しんけいがさいぼうしゅ)という病に冒され、 わずか十一歳でこの世を去ったとある。

電池はすぐにとりかえられるけど
命はそう簡単にはとりかえられない
何年も何年も
月日がたってやっと
神様から与えられるものだ

命を粗末にする人を悲しみ、精一杯生きようとした少女の詩は切なく哀れだ。
'04年05月27日

著作権雑感

 「青空文庫」は、著作権が消滅した作家の作品を電子化したインターネット図書館である。 ところで、入力や校正するボランティアのことを「工作員」と呼ぶのはあんまりだ。 北の金どんの手下じゃあるまいし、こんな肩書きやめるがよい。
 著作権は死後50年で消滅する。他の国でも同じような年数だが、アメリカは最近70年に延長した。 ディズニー映画の著作権が切れる頃になったので引き伸ばしたという。
 音楽著作権の使用料の総額は、国内で年間一千億円を超える。 CDの売り上げは毎年減っているが、その分をDVDの売り上げで埋め合わせた格好になっているそうだ。 その上、携帯電話の着メロ配信の使用料が増加しているため、総額は増加の傾向にあるという。
 コンサートなどで演奏する場合はプロアマ問わず、許諾と使用料がいる。 以前は僅か払えばよかったが、何年か前に日本音楽著作権協会が値上げするぞと言い出した。 それも何割の値上げではなく、 数字は忘れたが(間違っていたら謝るが)何倍もの大幅値上げだったと記憶する。 それで音楽評論家が、現代音楽のストラビンスキー(1971年没)や武満徹(1996年没)などが敬遠されて演奏されなくなるのではと危惧していた。
 話は変わってテレビのコマーシャルに、時々ビートルズの曲が流れる。 最近のものでは公文塾の「ハローグッドバイ」がある。 どういう訳か演奏しているのは必ず決まって、本人ではなく日本人である。 これも著作権が関係するのだろう。 コピーバンドというのがいて、顔と背格好以外は、本物そっくりに演奏する。 リバプール訛りもそっくりである。 一度だけ本物のコピーバンドを見たことがる。
 2年前に百貨店でビートルズの写真展があった。 日替わりでコピーバンドの演奏があるというので、 もう一度見物しょうと出かけて行ったら、こちらは、似ても似つかない偽コピーバンドであった。
'04年05月26日

金田一春彦さんの辞書

 昨日に追記する。金田一春彦さんが編纂された国語辞典に、「現代新国語辞典」(学研)がある。 初版は平成五年で、いまは第三版が出ている。 国語辞典としては新参者である。 だけれども、この辞書は金田一春彦さんの人柄が現れた良い辞書だと思う。 「新明解国語辞典」とは違った意味で、これも読んで楽しめる辞書である。 序文に次のようにある。
 「先日タクシーに乗ったら、運転手が電話で、ジッシャ何とか…と言っている。 ジッシャとは何だと聞いてみたら、客が乗っていない車は「空車」というから、 客を乗せた車は「実車」という、とのことだった。云々」 という具合に、序文から読み物になっている。
 誰もが読み親しめるのが特徴であろう。 慣用句やことわざ、枕詞や連語など多く表記してある。 新しい辞書らしく、おお SARS(サーズ)がある。 まだご記憶に新しいであろう。中国で伝染した「新型肺炎」のことである。
 多くの囲み記事がある。金田一春彦さんの日本語コラム、 類語と表現、類義語の使い分け、さらに異字同訓語や同音類義語の使い分けについて解説がある。 日本語には、和語と漢語的表現がある。「日本」は 、"にっぽん" と "にほん" がある。 その使い分けを例示して説明してある。日本(にっぽん)チャチャチャ!、東京の日本(にほん)橋、大阪の日本(にっぽん)橋などと。
 この金田一春彦さんの辞書を、お亡くなりになる一ヶ月ぐらい前に買った。 どういう訳か、私が偶然に気に入った本の著者は、既にこの世の人ではなかったり、 暫くしてお亡くなりになることが何度とある。 だから、金田一春彦さんの訃報には大変恐縮してしまった。 ご冥福を祈る。
'04年05月25日

新解さん、面白し

 金田一京助の「新明解国語辞典」(三省堂)は、日本で一番売れている国語辞典だそうである。 もしお持ちなら、「恋愛」の項目を引いてみてください。 一読瞠目すること請け合いである。 あるいは、大笑いするかもしれない。 私は、高校一年生の時からこの辞書を持っていたが三年前、第五版に買い換えて古い方は捨てた。 この第五版で「恋愛」を引いて、あまりにも詳しく書かれていて露骨なので、はじめ驚き やがて笑ってしまった。 ところが、第三版・第四版では、露骨さは輪をかけて凄いのだそうだ。 また、第一版・第二版では、おもしろみはないという。
 「新明解国語辞典」は読んで楽しむ辞書だそうで、 世の中にはそのような趣味人(玄人)がいるのである。 「新解さんの謎」(赤瀬川原平著、文春文庫)は、「新明解国語辞典」縮めて「新解」の遊び本である。 第四版に基づいた内容で、単行本は第五版が出る前に出版されている。
 私は第五版しか持っていないので、この本と読み比べるのだが、いろんな所で記述が微妙に違うのだ。 それで「新解」の編纂者は、「新解さんの謎」を読んで影響され、書き改めたのだなと知って微笑んでしまった。一例を引く。
 「新解さんの謎」は文字を引いては、その説明に突っ込みを入れる対話形式である。 第四版(「新解さんの謎」から引用)には、「なまじ」の用例に

なまじ[=無理に]女の子が柔道など習ってもしょうがない

と書いてある。それを「新解さんの謎」は次のように突っ込む、

「なまじの説明に、なんでわざわざ女の子に柔道を習うな、なんて」
「まさか、柔ちゃんが(オリンピックに)出てくるとは思わなかったろうね」
「天罰ですよ」

 それが、「新解」第五版では次のように改めてある。

なまじ[=無理に]女の子が柔道など習ってもしょうがないなどという雑音には耳も貸さず精進し見事世界チャンピオンになった

 以上のお話。先日、国語学者の金田一春彦さんの訃報に接し思い出した。
'04年05月24日

NHKテレビ ETV特集

 昨日、夏目房之介さんのことを書きましたが、今晩NHK教育テレビに出演されます。

「ETV特集 夏目漱石 夏目房之介が探す祖父 "猫"誕生百年」
NHK教育テレビ
放送時間: 22:00~23:30
キャスター:森田美由紀、藤井克典
'04年05月22日

夏目房之介さんのブログ

 今年になって、ブログが流行(はや)っている。 アメリカから伝染した流行だそうだ。 最近開設されたばかりの漫画コラムニスト、夏目房之介(ふさのすけ)さんのブログを見た。 御存じだろうが、夏目漱石のお孫さんである。 夏目さんは、PCの操り方は不案内らしい。だから、

「日記の下方にコメント トラックバックというボタンがあります 小さいので 僕は老眼鏡かけないと読めない IEの[表示]メニューで[文字のサイズ]をクリックすると大きくできるらしいが 僕はまだできない(泣)」

と書いておられる。 ブログを始めたのも雑誌担当者におんぶにだっこのようだが、 書いているのはご本人である。開設するとあっという間に注目を浴びて、

「あちこちのブログに参照されたり リンクされたりしてるみたいです  ブログのアクセスランキングで21位とかって情報もあったりして」

とあり、流石(さすが)である。
 私は最近ようやく、日記を公開する効用を知ったが、ブログについては何となく怪しんでいる。 そこで暫くは、夏目さんのブログを見物しようと思っている。

夏目房之介の「で?」のURLは
http://www.ringolab.com/note/natsume/
'04年05月21日

日記のようなもの

 このページを始めて二ヶ月が経つ。 怠け者にしては良く続くなあと思いつつも、それが便利なのである。 役に立つということではなく、都合がよいというほどのことである。 それ以上は、やってみれば分るというしかない。毎日夜に10分程度の作文である。 日付があるから、日記のようなものである。
 手帳とカレンダーは、買うものではなく貰(もら)うものだった。 ところが不況のせいか手帳は何年も前から貰わなくなった。 カレンダーも、今年はとうとう正月に買った。 年を明けたカレンダーは旬の過ぎたものらしく半額だった。
 手帳は、日記を付けるためにあるそうだ。 古来日本人は日記をよく付けた。古人の習慣には理由があるのだろうから、 便利と感じることと何か関係があるのかもしれない。
 二ヶ月続けてわかったのは、日々綴(つづ)るのがよいということである。 毎日でなくてもよい。休日があってもいいし、休日を返上してもよい。 それでも続けることが大事で、巧拙は問わないことである。
 もう一つ、書いたものは残しておくのがよいようだ。 毎日私は、日記を綴った幾つか決まった人のホームページを見る。 その中の一つに、次のようなことが書かれてあった。 曰く 「朝起きて自身のホームページを見ると、書いた覚えのない文章があった。 読んで思わず赤面した。 昨夜酒を飲みながら、酔った勢いで書いてしまったらしい。 恥ずかしくなるようなことを書いてしまったが、これは自分の本心である。 だから削除せず、そのまま載せておく。」 私もこれでよいと思う。
 忙しかろうが暇だろうが、月日は勝手に過ぎて行く。 日々を綴るとは、記録に残すことである。 残したものは、歳月を経ると何某かの意味を持って来るだろう。 続けて行くうちに、その綴り方は変わらず不易となるかもしれないし、 あるいは変化し流転するかもしれない。 どうなるか知らないが、いずれにせよ、おもしろい。 とはいうものの、いつ放り出すかわからない怠け者なのだが。
'04年05月20日

個人情報雑感

 個人情報を漏洩された3人の会員が、ヤフーBBと親会社のソフトバンクBBを相手に、損害賠償を求める訴訟を起こした。
 個人情報を漏洩された多くの人は、今でもヤフーBBの会員だという。 別のプロバイダーに変える手続きが煩わしのが理由だと聞いた。 それでも、いずれ提訴する人は現れると見ていたが、果たして現れた。 ヤフーBBで漏洩した個人情報は451万人。お詫びに500円の金券を配ったという。
 賠償額は一人当り10万円とは、どういう計算なのだろう。 漏洩した情報の値段を決めるのは難しい。 被害にあった精神的苦痛の値段なのだろうか。 最大の目的は勝訴することだろうから、金額の問題ではないのだろう。 こういう考え方は感心しないが。
 アメリカには、クラスアクション (class action) というのがある。 一人の被害者が裁判で勝ち賠償金を手にすれば、 同様の被害者が集団で訴訟して同じように手にすることがある。 だから、損害賠償額は膨大にもなる。
 話は変わって、年金未納のドタバタ騒動は、女優に始まり政治家さらにニュースキャスターにまで及んだ。 これについて社会保険庁は、内部調査を始めた。 年金情報が登録されている、社会保険オンラインシステムのアクセス記録を調べて、 情報を流出させた職員を特定するという。 特定されても、法律で処罰することはできないから、 内規違反で処分される程度であろう。
'04年05月19日

銭形平次

 銭形平次が四月から始まると聞いていたが、昨日ようやく見ることが出来た。 番組はいつも見逃すのである。 中盤からだったので、話の筋が何とか理解できただけだった。 平次役の村上弘明の顔がいつもと少し違うなと思い、 やがてカツラのせいだと分った。 侍姿に見慣れていたが、今回は十手持ちである。 「銭投げ」は、やはりCG処理かというだけの感想である。
 テレビ朝日HPの広告をみると、 うたい文句の中に「江戸庶民の暮らしぶりを圧倒的なリアリティで描きながら云々」とある。 これを期待しているのだが、どうもいけない。
 八五郎役はアリとキリギリスの石井正則である。 この人に不服があるのではない。 ただ、キャストの解説で八五郎は平次の相棒とある。 刑事物と勘違いしてはいないか。 平次は親分で八五郎は子分である。 これじゃ「圧倒的なリアリティで描く」というのが怪しくなる。 やはり、時代劇だけはフジテレビかな。 中村吉右衛門の「鬼平犯科帳」や藤田まことの「剣客商売」は良かった。
'04年05月18日

厚意謝するに余りあり

尻舐めた舌で我が口舐める猫 好意謝するに余りあれども

 目医者で歌よみ、寒川猫持さんの名高い短歌である。 思わず吹き出してしまうが、後半は唱歌「水師営の会見」だと分ってまた笑った。 その歌集「猫とみれんと」には、飼い猫にゃん吉の自慢話あり、 別れた妻へのいまさらながらの愛と未練に満ち満ちていて、それが笑いを誘うのである。 もう何首か引く。

妻去りしあの日は妻に会わざりき 今日は金魚の死に目に会わず

僕ですかただ何となく生きている そんじょそこらのオッサンですよ

出前なし話し相手はさらになし もういくつ寝れば来るお正月

可笑しくて、それでいて哀しいのだ。跋文に、 「『万葉集』以来、個人の歌集として出されたものの中で右に出るものはないだろう」 と大見えを切ってみせるのは、大伴家持(おおとものやかもち)にあやかって猫持なのかと想像する。 猫持さん俳句も秀逸で、田辺聖子さんは絶賛し司馬遼太郎も賞揚した程だ。 だから、これくらいなら作れると錯覚するのは勝手だが、出来ないのである。
'04年05月17日

淀川長治の銀幕旅行

 産経新聞HPに、故・淀川長治の銀幕旅行というのを見つけた。 90年(平成2年)から亡くなるまでの8年間、新聞連載の映画批評が映画のタイトル50音順に並べてある。 最後に、連載に携わった記者による追悼文の記事がある。
 日曜洋画劇場での " さよならおじさん " のおしゃべりは一流だった。 映画の解説のように見せかけて、あれは本当は広告である。 毎週放送する映画がいつも面白いとは限らない。 中にはつまらないものもある。 しかし、どれもこれも面白いように見せなければならない、スポンサーあっての番組である。 最後まで見てもらっての番組だからである。
 だから淀川さんは、つまらない映画の時は、内容とは関係のない話をして関係のないことで褒めるのである。 そして視聴者は、てっきり面白い映画だと勘違いして見てしまうのである。 淀川さん、嘘はついていない。
 この銀幕旅行は、そんな淀川さん一流の映画評論である。 リズム感あふれる文面には、懐かしや " さよならおじさん " のおしゃべり口調が蘇り面白い。 そして、淀川さんは映画を作る側と見る側とを、冷静に観察できる人であると気づいた。 見る側とは、日本人の映画の鑑賞能力である。改めて感心した。

淀川長治の銀幕旅行のURLは
http://www.sankei.co.jp/mov/yodogawa/index.html
'04年05月15日

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