1/30(Thu)


 奥さんが寝言で
 「…たこじゃないっ……たこ…」
 とゆっていたのが一日中気になっておりました。

1/29(Wed)


 (あしたまにあ〜なの濱田マリ風に)阿部寛が成歩堂に見えた水曜日、皆様いかがお過ごしでしょうか、特に明日間に合う合わないだのは関係なく昨今の些末事をコンパクトにまとめてご紹介しようかと思う所存云々そんなこんなで公開中の邦画『黄泉がえり』、これ原作カジシンって知ってましたか?梶尾真治原作の映画なんてそうそうないのでこりゃ観ねばと調布のパルコに今度観に行こうと思うとります、はい映画と言えばやっぱり公開中の『カンパニーマン』が非常に魅力的でしてその、監督はあの『CUBE』の監督だと言われた日には、こりゃみとかなあかんでしょうと思いつついや私がとにかくキューブが好きなキューブマニアだとばれてしまうような発言、その実キューブマニアなんですけどもね、真四角好きでわたしゃ『マイノリティレポート』この前観たんだけれど、もうただのSF映画じゃちっとも感動できぬ体になったのかもしれん、レポートすることも忘れとったし、いや決して悪い映画じゃないんですけど、ちょっと、そのう、マイノリティというよりはメジャー向けかいなと奥さんがキャラメルボックス観に行こうとうるさいのだけども甘い物嫌いなので無視無視となんですと、いつのまにかモーニング娘六期メンバが加入しとる上、一人はミキティでもって、さすがに多すぎるので秋には二分割、さくら組とおとめ組として再結成、おお完全におにゃん子クラブ的でもってよいよい、それにしてもゴマキはピンになったらやっぱり目立たなくなったなあ、だから昔から何度も、モン娘は「集団でのみ意味がある」と言っているのにどうしてピンになったりするかなあ、周囲があるから映えるんだって理解しろよいいかげんキムタクって主演する全てのドラマにおける役づくりが全て同じ役に見えるんですが、あのひと役者という言葉を理解しているんでしょうか云々そういえば先週末九州に棲む友人が泊まりにきてくれたんですが(ごめんねあんまりお構いできなくて>某友人)彼の言「東京の道はどうして『側溝』が少ないのか」が非常に印象的でした、さすが彼の職業柄、奇妙なところに視点がいくなあと驚き半分、確かにそういえば田舎によくある溝とその蓋がちっとも見当たらない、いったいぜんたい水はけはどうなっとるんだろうかといぶかしげる一月そろそろ考えますよ進退あ〜仕事やる気ねえ〜風邪がごほごほごほ、ご〜ほごほごほ、げほごほ、ぐテレバイダー、時間変わったのかしらん来週は金八スペシャルの再放送が連日観損なうな!ごほごほごほ、げほごほ、ごほそういやこうやって咳してたら、隣の帰国子女から「ブレス・ユ〜」などと言われてはっとしたことがあるなあ、あれ、格好良かったなあ、ということで使おう、咳したひとがいたら言いましょう「ぶれしゅー」「ぶれしゅー」げ〜ほげほげほごほげごふ、がふ、げすまん、今日収拾もつかんげほげほ、ぐほへ、ほふ、ふんげほぐほげほごほんごほん、がぷう

※本当にすみませんでした

1/28(Mon)


 さァみんな!BoAをブロードバンドアダプタと読み違えた日本語だいすっきーSide-Bお兄さんが、みんなに本当の日本語を教えるよッ♪

けんけん  「あ、べえ太さんだっ」
べえ太  「…うふふ」
けんけん  「ああ、べえ太さんは、気がおけない人だなあ」

 さて問題ですッ。けんけんさんにとって、べえ太さんはいかなる存在か?
 A.「油断ができず、慎重に接さねばならない人」
 B.「遠慮無く、気を許して接することができる人」
 ※人なのか?あん?というツッコミはなしよ

 答えはありません。これくらい自分で調べてください。常識です。以上。

1/27(Mon)


 『千と千尋の神隠し』がついに記録を塗り替えたちうニュースが駆け巡っており驚きを隠せないのも頷けるのだが、いやむしろこのランキングに、90年代にランクインしているものがないという事実の方が驚きである。唯一ランクインしているのが99年、しかも『もののけ姫』でありこれは参考にならない。このランキングの空白具合が何を意味するのか。いや何も意味しないのだろう。つまり空白の90年代。何も無かった十年間。ようやっとここにきてムーブメントをお越しえたのがスタジオジブリ。エンターテインメントのある種のベクトルから完全に真っ向から反対する方向で(すなわち「ねじれの方向」)つき進んできたメディア界の雄。他の、行き先を誤ったエンターティナー達が軒並みなだれ落ちる姿が目に浮かぶ。
 はっきり言おう。『ハリーポッター』と『千と千歳の神隠し』がこれだけ世界規模で売れているのはなぜか。それは、スタイリッシュなどという馬鹿げた呪縛からはやすやすと解き放たれ、説教臭さやお為ごかしなどからは自ずから戒めることで解放されて、ついに純粋培養された、まぎれもない「物語」であり「エンターテインメント」だからである。いったい九十年代、日本ではいかなる物語を紡んできたのであろうか。なんとなくクールでスタイリッシュでかっこよさげなクリエイティブストーリ。そんな「偏ったもの」が売れると信じていたのはどこの誰なのだろうか。売れるものは決まっている。面白いものだ。そして面白いものとは決まっている、モノガタリなのである。当然笑いが入っていなければならない。痛快が入っていなければならない。そして感動が入っていなければならない。モノガタリを創ってしまえば売れるに決まっているのである。
 ということで、「どんでん返し」だけで引っ張っていこうとする昨今の映画業界はすぐに頭打ちになることを予言しておこう。そしてまた、今まさに、全く同じような道を辿っていこうとしている、文化として未熟なゲーム業界もまた、このままでは空白の十年を経験することになるのを予言しておこう。

 で、ジブリの次回作なんだけど、『ハリーポッター』影響してないよね?しているわけはないけど、思わず聞きたくなってしまうようなセレクトだったもので。げほげほ。ごーほごーほごほごほほ。ぱえ

1/26(Sun)


 一昨日貫徹夜のおかげでインフルエンザの如き風邪に見舞われる。おかげで土日はずっと風邪のタクト。鼻水たらしながら六拍子。頭痛でくらくらしつつフィギュア集め。ニテン堂にいるマニー・Aの持っている紙袋が初代ゼルダの「オクタロック」のマークがワンポイントついていてとっても欲しくなる。行商人の好きな食べ物が「岩」だと判明しやっぱり奴らは「ゴロン」だったのかと納得してしまう。ごーほごほごほごほ。げほげふ。がふ。全く言葉が理解できないレベルのジャーゴンでありもうしわけない。それでもなお続く。思いっきりテトラ写し絵に撮るの忘れてた。この時点で三周目決定。喉が痛い。空きビンでファントムガノンのビームを跳ね返すあたりがとってもゼルダ的。二周目だというのに全く飽きることのない海はやっぱりゼルダって楽しいなあと思うばかり。海を進むだけで楽しい。カモメで大海原を眺めるだけで心踊る。ごーほごほごほげふがふ。がふんげふん。がらがらがらごろ。なんか果てしなくずっとやってそうで廃人的でとてもよい。限りなく内向的にパラノイア的に大海原を颯爽。わけがわからん。それにしてもいつからリンクはマニア女性に偏執的に愛されるようになったのだろうか。よくも悪くもオカリナの功罪。げほげふ。フィギュア「妖精」の説明『第一印象 よい』がとんでもなく言葉の魔術。いかにも妖精。爆笑。ぎゃははははごほごほぐへーごほっほっほっほふ。げふ。ち、血、血だ。行商人、デクの葉で仰ぐと風見えるじゃんワオゴロンそのものだゴロ。とにかくアリルが可愛い。奥さんやっとブーメランゲット。その便利さに諸手を上げて喜ぶ。ああ、そここそがいわゆるゼルダのオモシロさの真骨頂なんだよなあゲホゲホゲホげほぐふ、血、血?ひやっはっはっは、頭がぼーっとしてきてどうも脳の上にヒョイの実がのっているらしからん、げほげほ、げほ、ぐふ、ぎゃ、ご、ぶぐ、がぼろんぶ、ぽえ

1/24(Fri)


 昨日貫徹夜。もう死ぬ間際。末端が痺れ始めた。あわわわわ。

 それはそうと一昨日のニッケがなぜか掲示板で好評(?)でみんな好き勝手なこと言っていたので続きをば。
 FUNAX案
こちらは妙解
 これ、もう別物。
 これはこれで良い構図とする。もしくは失敗写真ですな。以上。おやずみ。

1/22(Wed)


こちらが正解こちらが、正解
 「どっち?」と銘打って、上の絵のどちらが「良い構図」を問う雑誌広告がある。「アートの才能」を見つける煽るための、芸術専門学校の広告である。
 さて、果たしてどちらが「良い構図」なのだろうか。
 いつも小生思うことだが、どう考えても左の方が素敵だと思う。
 不安定さが堪らない。そこには無限の深さがあるように思える。右はキレイであるような気もするが、非常につまらない。飽きる。左はオブジェクトは同じなのだが、観れば観るほど、様々な思考が脳内に訪れ、小生の発想力に多大な影響を与え続ける。不安定であったその絵が、次第になにやら平安を醸し出すようになり、下手をすると神聖さを帯びだしてきたりするのだ。
 と、小生は思うのだが皆さんはどうだろうか。

 ま、この広告に感化され葉書を出してみたところで、
 ・右と答えた場合…正解、均整さがまぎれもなく良い構図
 ・左と答えた場合…正解、前衛さがまぎれもなく良い構図
 などと言われて勧誘されるのがオチなんだろうけどもさ。逆に「左:論外、あなたに芸術の才能はありません」などと言われたほうが、可愛げがあって面白いか。ああもう、くだらんことばかり考える。ネヨネヨ。

1/20(Mon)


 横綱の引退に際する母、憲子さんのマスコミ向けコメント。
 「…土俵外でも戦っていました…」
 これに対するマスコミのコメント。
 「いろいろありましたよね〜プライベートでもいろいろといわれておりました」

 おまえらが全てつくりだしていたんだろうが。イヤミって気づけよおまえら。

1/19(Sun)


 実は当サイトは、

 小説メインサイト

 だったのです(本気)!コラ、そこ、忘れてんな!

 そこで、前サイトの名コーナー、「笑う門には福袋」を移行し始めました。折を見て十話ずつくらい、こちらに掲載していきます。一度読まれた方も、まだ読んでいなかった方も、この機械にお読みいただけると嬉しいです。小躍りします。
 今回、十話につき一話だけ、おまけ解説をこっそり挿入しております。おまけ要素としてお楽しみあれ。
 また、この話好き!解説かきたい!などという方がいらっしゃったら、こちらまでメールください。適当に調整し、やはりこっそり掲載いたします。

1/18(Sat)


 では続きを。

 最後に残った対立概念「意気」「野暮」とは。
 意気とは「粋」であり、「世帯人情に通暁すること」「異性的特殊社会のことに明るいこと」「垢抜していること」である。野暮はその真逆である。世帯人情に通じず、異性的特殊社会に暗く、垢抜けしていない、鄙びたオッサン、即ち野暮は野夫の音転だといわれている。イナカモンなのだ。
 ところが、野暮には自負が入ることがある。「わしはそのう、野暮ですから」と菅原文太が言ったら明らかに渋い(有価値的意味のほうで)。
 では、意気、野暮は価値判断が相対的な、対他的趣味なのだろうか。
 上品、下品を思い出してみよう。これらは「人性的一般性」なる公共圏における、有価値、反価値を表す趣味だ。一般的人間社会における、価値ある存在が上品、なのだ。
 先ほどの野暮の有価値的言い回しは、あくまで「人性的一般性」における表現である。そこには異性的特殊性における価値観は含まれない。(この表現を「セクシーだ」などという女性がいたとしても、菅原文太はそういうつもりで言ったのではない)
 畢竟、意気-野暮は、異性的特殊性公共圏における、有価値、反価値を絶対的に決められた趣味だったわけである。異性的特殊性公共圏においては、意気ではない、即ち無粋、つまり野暮に正の価値はない。玄人からみれば素人は無粋。うぶな恋も野暮。不器量な女の厚化粧も意気ではない。異性的特殊性公共圏では、それらの価値は認められない。
 つまり、意気と野暮は、対自的、そして有価値・反価値を決定でき、異性的特殊性公共圏に属する趣味であったと言えるのである。

 で、結局のところ「意気」とはなんなのか。
 原書ではその定義をこうまとめている。

 『意気』とは「垢抜けして(諦)、張りのある(意気地)、色っぽさ(媚態)」である

 つまり、意気は、基本的に媚態なのだが、その媚態は、いろんな過去と未来、社会的環境などにより、諦観が入り混じった、厭世的側面があり、なおかつ、野暮な異性を見下し、つっぱねるような意気地のある気概であり、ああ、まさに、これは私ことSide-Bの、永遠の異性への憧憬であり、本当に日本人でよかったなあと、つくづく思える言葉なのである。
 そして媚態とはいえ、あくまで対自的。誰か特定の相手に対する媚態ではなく、不特定多数への媚態。言うなれば逆説的に、「己に対する反媚態」なのかもしれない。つまるところ、媚態が進化し、「理想主義的非現実性を具現化した趣味」なのである。意気な女は、媚態が滲みでている。だがその媚態は張りのある媚態だ。あからさまに近づこうものなら、手痛いしっぺ返しを食らうだろう。そしてアンニュイな目。異性だけでなく同姓からも憧れられるのは歴然。
 無論、勿論、当然の当たり前の事実だが、「いき」と同等の意味を持つ言葉を、外国の諸文化圏における外国語として、見つけることは絶対にできない。あったりまえだけど、「いき」って「erotic」じゃないし、「sexy」でも「pretty」でもない。「smart」が近いような気もするが、「smart」には「媚態」「諦」が入っていない。日本の、日本だけの、ユニークな趣味、それが「いき」なのである。私は、この言葉を、いつまでも絶対に忘れてはいけないものであることを信じてやまないのである。はい、今日はこんなところで。眠い。

1/16(Thu)


 負けました。
 昨日の続きです。明日へと続きます。ごめんなさい。…眠すぎる。



 しょうがないので本日の「三文字以上三単語四字」
 ・「すまいる」
 ・「せいさん」
 ・「ひこうき」
 今日はこのへんで勘弁。

1/15(Wed)


 毎日が終電でも負けん。昨日の続き。
 ※以下は九鬼周造著『「いき」の構造』(岩波文庫)のほぼ引用です いきの構造1
 分類を始める前に、上記の相空間を頭にいれなければならない。
 「異性的特殊性」「人性的一般性」のあるy軸は文化的「公共圏」軸である。つまり、前面が異性の区別を考慮した上での分類であり、後面が人間一般を含めた公共圏、となる。
 「対他的」「対自的」のあるx軸は絶対評価・相対評価を表す軸である。つまり、右側が絶対評価、自ずからの価値のみの問題であり、即ち価値的(価値のありなしを考え得る)となる。左側が相対評価、常に他に対して相対的にどうかという問題であり、即ち非価値的(絶対的な価値のありなしを考えることができない)である。
 z軸はちと複雑。
いきの構造2
 上が何、下が何と定義できないのがつらいところだが、つまり「対自的」において上方は「有価値的」即ち価値がある、下方は「反価値的」即ち価値がない、を意味する。
 一方「対他的」においては、価値性の区分はないのだが、他に対する立場によって分類され、上方は他に対して「積極的」、下方は他に対して「消極的」といった区分になる。

 すると、昨日の八つの「趣味」は…

いきの構造3

 となる。各頂点に「趣味」が点在する。
 注意しなければならないのは、「公共圏」が違うと価値観が異なる、という点である。「野暮」は「異性的特殊性」公共圏においては確かに反価値的ではあるが、「人性的一般性」では必ずしもそうだとはいえない。「異性的特殊性」公共圏に棲まぬ者、即ち老人達にとって、「野暮」なひとはよもや、信頼できる人間でさえあったりする。また「僕は野暮ですから」という言い方には少なからず自負が含まれている。「下品」もまた「異性的特殊性」公共圏においては翻って価値があったりする。エッチって、「下品」を込むこともままあるからだ。
 以下、それぞれの趣味をよく考えていこう。
 「上品」「下品」は品質の良し悪しであり、無論モノだけでなく人間にも通ずる。しかるに絶対価値の区分である。しかしその価値とは人性的一般性に依存するものであり、それは、異性的特殊性公共圏から乖離してしまった、例えば老婆であっても、上品な方は存在する。
 「派手」「地味」は如何なるものだろうか。派手とは「葉出」つまり外側へ飛び出すことである。まさに積極性そのものである。他に対して目立とうとする気概であるため、絶対価値があるものではなく、非価値的。そして公共圏は、性別に関係無く存在するため、人性的公共圏に位置する概念である。勿論、他に媚びを売るための「派手」かもしれないがそれは二次的説明となる。派手であることは、媚びを売るためである、という説明は必要条件であり十分条件ではない。ただ目立ちたいだけである場合もあるし、だいいち度が過ぎるとすぐさま「下品」となってしまう。一方、「地味」は地面を味わう根、の意味で、内側へずぶずぶと沈みこむ気概をあらわす。無論消極性。しかし、やはりそれは反価値的だとは言えず、それは、むしろ地味が「さび」を通じて上品の列に加わることからも頷けることだ。価値判断には依存しないわけである。
 「甘味」「渋味」は?同じく対他性、即ち他に対する様態をあわらす。果実が鳥や虫に対して、種を運んでよと甘えるために甘味を帯びるように、渋柿が、越冬する為に俺達だけは残してくれよと渋味を帯びるように、他に対して積極的にとりいろうとするか、消極的に逃げよう防ごうとするか、の違いである。人間も同様で、守りに入ったら渋い顔をするし、とりいろうとするときは甘い顔をする。しかし絶対価値がないのは、「甘露」「甘諾」という価値的な言葉がある一方、「あまっちょろい」「甘言」などといった反価値的言い方もあることや、また「シブい男」「渋染め」といった価値的な表現がある片方で、「難渋」「渋滞」などという単語もあることから、よくわかることである。単に積極、消極の区分に過ぎないのだ。
 そして、甘い、渋いは基本的に異性的特殊性公共圏における表現法から派生した言葉である。甘えとは媚態であり、シブいとは異性に対する憧れの表現である。そもそも、果実が甘くなったり渋くなったりするのは、植物界における異性的存在(生の媒介者)へのアプローチであった。
 では「意気」と「野暮」はどういった意味になるのか…。大詰めであるので、また長くなってきたことであるし、ここは次回に持ち越すことにする。もう眠い。明日へ続く。

1/14(Tue)


 「おつ」「みやび」「いき」「じょうひん」「しぶみ」「はで」「やぼ」「さび」…
 えと、もじぴったんではない。当然これらももじぴったんにはでてくるのだが、いやむしろ先日「がえんずる」が完成したのにはショックだったけれども。「狡」「演ずる」「肯んずる」て。いや、そんな話題じゃないない。また逸れるところだったワ。
 そうではなくて、先ほどの単語。どれも固有の、日本人を日本人たらしめている物事の考え方である。ではあなた、これらの違いおわかりだろうか?僕はこの前までほとんどわからなかった。なんとなくはイメージが喚起されても、決して体系的には知らなかったのだ。
 実は、目下耽読中の九鬼周造著『「いき」の構造』(岩波文庫)に、恐るべきことにこれらの言葉が体系的に述べられているのである。これがまあ面白いおもしろい。しかし、非常に読みづらい。そこで、引用という形にはなるのだが、とりあえずこの本を読みやすくするために、この場を借りて図示化しておこうと思った次第なのだ。
 とはいえ今日はもう眠いので、クイズだけに留めておこう。
 上記様々な概念のことを、ここでは「趣味」と呼ぶ。現代用語の狭義の趣味ではない。趣のある味わい、という概念のくくりを指すのだ。ここでは「意味」と対応する言葉と定義しておこう。「意味」は言い換えのきく、物事への噛み砕いた説明だ。これに対し「趣味」とは、物事への言い換えのきかない趣イメージである。さて、ここに八つの「趣味」がある。
 ・上品
 ・意気
 ・甘味
 ・派手
 ・野暮
 ・下品
 ・渋味
 ・地味
 以上を適当に分類しなさい。先に趣味が選別されていると簡単だなあ。続きは明日。

1/12(Sun)


『バカ姉弟(2)』
 『バカ姉弟(2)』購入。巣鴨在住のバカ姉弟と巣鴨住人との情ほろろで天衣無縫な日常かつ非日常漫画。安達ワールド全開。とにかくバカ姉弟がかわいらしい。その上、まぎれもなく詩。つまりね、バカ姉妹とは「都会に棲む妖精」だったのだよ。この漫画、たぶん東京という町に住んだことのある人間じゃないとしっくりこないかもしれんなあ。いい漫画だよなあ。バカ姉弟だけでなく、住人も、そのコミュニケーションもまた虚なのかもしれず、全員が妖精かもしれぬ。しかし、そもそも漫画こそ虚なのだからなんの問題はなかったわけなのである。何言ってんだ俺。意味わかってんのか俺。
 位置付け的には『愛のひだりがわ』を漫画にしたような感じ。おお、言い得て妙。酔っぱらってんのか、俺。でも多分言い得てる。ホント。先斗。

『NANASE(3)』
 ついで『NANASE(3)』も購入。やべえ、めちゃめちゃおもしれえ。原作再読したいなあ。ああ、愛しのヘニーデ姫…。なるほどヘニーデ姫はショート・カットだよなあやっぱり。

1/11(Sat)


 三連休は嵐の如き業務により一連休になるようで。つーかSambaどうなってんだよ。めちゃくちゃはまっちゃったよ。げふげふ。
 それはそうと「もじぴったん」電車でやりすぎて、完全に頭が「しりとり脳」になっちょる。「いか」「かめ」「いかめし」「いかめしい」とかとにかく無意識に沸きいずる。むしろ根詰めすぎ、頭痛くなってきて、ちょっとやりたくなくなってきた。おもしろすぎてやりすぎて吐き気するのは久しぶりだなあ。

1/9(Thu)


 昨年から欲しいなあ欲しいなあと思っていたGBA版『ことばのパズルもじぴったんアドバンス』。
 欲しいなあ、でも金ないなあなどと思いつつ、疲れ果てた体で本日、日が変わる夜半に帰宅したら、あろうことか奥さんが遊んでた。ショック!
 ショックのあまり、いつものゲームコスプレをしよう。

べえじくん
ほいッ!

1/8(Wed)


 発明。「ベンリモコン」
 ちょい大きめのリモコンの大きさ。これに、家庭にある既存の各種リモコンをカチャリとはめ込み、覚えさせたい既存リモコンのボタンを押しながらベンリモコンの「記憶」ボタンを押す。するとそのときの赤外線を読み取って、同じ波形を再生、射出可能になる。おお、これであらゆるリモコンを自分なりにカスタマイズして、家庭内唯一の万能便利リモコンとして活用できるのである。
 ダレか造ってくれまいか。ううむ、そもそも技術的に可能なのかしら。絶対爆発的に売れると思うけどなあ。はい、今日は以上。眠い。

1/6(Mon)


「ねえねえ、あたしってさぁ、超イケてない?」
「うん、超イケてない」

(了)

1/5(Sun)


 どもども、一週間ぶりのご無沙汰です。
 新年あけましておめでとうございます。
 今年も何卒、よろしくおねがいします。

 また今年も紅白見ていて「ああ、小林幸子はRPGのボスだ」発言をしてしまい、奥さんに失笑を買ってしまいました。よく考えたらあんな真正面タイプのボスは、このご時世ほとんどおらぬな。そんなSide-B的ありふれたネタで始まる2003。今年もSide-B的激動の一年となるようです。こうご期待。