国語の教師になったわけ


 私はどう見ても理系の人間で、何でそれが国語の先生になったの?と良く質問されます。口で説明すると長くなるので、ここにまとめておこうと思います。


私が過去になろうと思っていたものには次のようなものがあります。

エンジニア

エレクトロニクスには小さい頃から興味があって、ラジオやアンプを作ったり、テレビを修理して小遣い稼ぎをしたり、アマチュア無線を始めてアンテナの研究をしたりしていました。ですから将来はそういう方面のエンジニアになるのだという漠然とした未来を描いていました。

国語の先生

私の好きな先生は何故か国語の先生が多かったのです。それで、先生になるんだったら国語の先生になりたいと思っていました。

中1のときの渡辺先生:詩の面白さを教えてくれました。

中2のときの安田先生:文学の雰囲気を教えてくれました。

高2〜高3のときの斎藤先生:文学を実証的に分析する方法を教えてくれました。

理論物理学者

この世がどのようにして出来ているのかということにも、小さい頃から強い関心がありました。小学校2年のときに親に百科事典を買ってもらい、各元素の様々なデータをミニノートにまとめたりしていました。そして周期律表にある各元素の質量が単純な正数比とは微妙に違うのはなぜなのかなどと考えていました。

中3のころには、ブルーバックスなどで素粒子論を読んだりしました。高校になってからは時間はなぜ一方通行なのか?とか、空間と物質の本質は何なのか?ということにも興味が沸き、相対性理論の本などを読みました。それで、将来は理論物理学者になってこの秘密を解き明かしてみたいなどと夢想していたのです。

分子生物学者

高1のとき生物の中平先生に、生物をなりたたせている条件や、発生の仕組み、遺伝学やDNAのことを習いました。

バクテリオファージの遺伝子がどこで何を指示しているかまで解っているのを知って、近い将来、「遺伝子を解明すれば生命のすべての謎が解けるぞ」と、わくわくしたのを覚えています。

地震の研究家

なんとなく、地電流の観測を綿密に行えば地震予知ができるのではないかという予感がありました。地震学者になってそれを実証し、東京を大地震から救うというのもなかなか素晴らしい夢でした。


いずれにしても興味の中心は物理や生物だったので、高3までは理系のコースを選択していました。

しかし高3になって私は、このまま理系の道を突き進んで行くと、人間というものを知らない偏った人間になってしまうのではないかという不安を感じ始めました。「人間とは一体何なのだろうか? 人生には目的はあるのだろうか?」そういった疑問に納得の行くような解答が欲しくなったのです。人間の思考パターンというものにも興味がありました。

そうして文系に転向して一浪の末、文学部に入ったのですが、大学1年のときに「人間とは何か?」という疑問は解けてしまいました。それについては「随想録」の中に書きました。

これほど悩んだわりには結果は単純なものでしたが、同じような悩みを抱えている人はたくさんいるはずだと思いました。だとすればそうした人達にアドバイスをするのが私の使命なのかもしれない・・・というわけで教師への道を歩むことに決めたわけです。


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