私が最初に提案したアンテナは図1のようなものでした。
まず、電流の山が同相で揃う形として横1/4λ、縦1/2λの「日」の字形のループアンテナ(図2)が考えられました。
当時、キュビカルクワッドはかなりポピュラーでしたが、なぜ日の字形のループアンテナが使われないのか、私は不思議に思っておりました。しかし、このような形のアンテナが全くなかったというわけではありません。当時の「アンテナハンドブック」にも、144Mz用の八木2スタックのラジエーターにダブルループを採用したものが載っておりましたから。
しかし、さらにゲインを稼ぐ方法としてHB9CV式の移相給電を併用することが効果的ではないかと考えたわけです。これならエレメント間隔も1/8λで済み、スペースをとりません。私の家は敷地が狭かったので、「いかに狭い敷地でゲインの高いアンテナを作るか」というのが私の目標だったのです。
それで出来たのが図1の形というわけです。ところがこのアンテナのインピーダンスがどうなるのか、皆目見当もつきませんでした。図2のエレメントだけでもキュビカルクワッドを並列につないだようにも見えるので、キュビカルクワッドよりローインピーダンス(50Ω以下)になるとも考えられるし、3エレメントの折り返しダイポールを拡げたようでもあるので、ハイインピーダンス(300Ω以上)とも考えられるのです。入力抵抗はもとよりLC成分がどうなるかなど予想もつきませんでした。
それで私は当時所属していた相模クラブにこの模型(図1)を銅線で作って持っていったのでした。そして「このアンテナはどうやったら給電できるだろうか?」と聞いたのですが、誰も明解な答は出せませんでした。そこで、それならこれを相模クラブとして研究しようということが決まったのです。1972年7月のことでした。
ヘンテナ開発の歴史に戻る