所有ということ


 人間には「所有欲」というものがある。「自分の物にしたい」という欲である。家が欲しい、金が欲しい、恋人が欲しい……などなど挙げればきりがないくらいだ。なぜこれほど人は所有したがるのか? それは手に入れることによってより幸福になれると思うからにほかならない。それで我々は一所懸命働いて(価値を生みだして)金を手に入れ、物を買う。

 だがこれで本当に「自分のものになった」と言えるのであろうか? 食物ならば食べてしまえば確かに「自分のもの」になったといえる。では本やレコードはどうだろう。本は買ってきただけでは自分のものにはならない。読めばいいか。だめである。内容を理解した時か。まだだめである。「理解し、それを再現できる」とき、初めて「完全な所有になった」といえるのである。再現できるとは「頭の中に想い浮かべられること」あるいは「内容を他人に伝えられること」である。レコードなら、買って何度も何度も聴くにちがいない。それは覚えたい、所有したい、つまり自分のものにしたいからである。カラオケが流行するのも、真に自分のものになったという実感があるからではなかろうか。尺八を買ってきても真の所有になったとはいえない。思うように吹きこなせるようになったとき、「自分のものになった」と実感し、満足するのである。思想、学問もしかり、料理だって自分でつくれるようになって初めて本当に自分のものになるのである。

 つまり所有には物質的の所有と精神的の所有とがある。前者は比較的実現するのはたやすいが、後者は努力と時間が必要である。真の所有に至る道は長く、そしてまたそこには新たな喜びがあるのである。


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