再び幸福へのアプロ一チ


 久しぶりに旅に出て感じたことなのだが、現代人は『現在を楽しむ』ということを忘れてしまったのではないだろうか。いや、私だけのことならばいいのだが、どうやらこれは現代人一般に通用することのようだ。

 たとえばどこかへ移動するとしよう。そのとき、目的地へ到着することが「目的」なのはあたりまえである。したがって到着したということで、やるべきことは達成したので、満足感をいだく。これも至極当然である。だが途中はどうなったのであろうか。目的を達成するための過程なのだからたいした意味はないと思ってしまうのが現代人なのではなかろうか。途中にも様々な景色があり、出会いがあり、発見があるのではないか。ちよっと立ち止まって、いや立ち止まらなくても、その変化を楽しもうという気の持ちようをするだけで、そこにはとても多くの幸福が待っているのではなかろうか。それを受け取ろうとせず、目的地に着くことだけを頭に置いて先を急ぐ――なんともったいないことではないか。

 もっとじっくり、新幹線でなく各駅停車で、その時を楽しもうではないか。今生きている現在を。

 公園で日向ぼっこをする。雲の変化をじっくり観察する。道端の花のにおいを味わって歩く。アリの仕事を観察する。河の水音に耳を傾ける。陽の移ろいに時の流れを感じる。などなどちょっと気をつけてみれば幸幅はそこらじゅうにころがっている。これらを受けとめることができる人は幸福である。


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