エゴの自覚


 中学の頃から私は完全な人間になろうというかなり強い意志を持っていたように思う。そのための方法論として、私の頭を離れなかったのは父がよく言っていた「人のふり見て我がふりなおせ」というものであった。

 そのためか、私はかなり禁欲的な人間であったし、自分の生き方にかなり自信を持っていた。だが、自分が善人だと信じて疑わないことほど罪悪なことはないのではなかろうか。そのことに気付かされたのはずっと後になってから(高校時代だったか)なのであるが、それはひょんなことからやってきた。

 ある日、父がこんなことを話したのである。昔(おそらく私が小学生の頃だが)、家族で旅行に行ったときに、河原で遊んでいて、弟が投げた石が誤って私に当たったのだそうである。私はそれを赦そうとせず、弟に土下座して謝らせたというのだ。「あのときはかわいそうだったよ。」と言われると、私の記憶はおぼろげであったが、さすがに罪の意識にさいなまれずにはおかれなかった。私は何と悪い人間なのだろう、と思われ、そう思ってみると自分が今までにしてきた様々な悪行が次から次へと思い浮かんできた。

 思えばこれが私が自分の罪深さ(エゴ)に気付かされた最初であったような気がする。それから私はエゴを徹底的に断罪しようと思ったのであった。

 思えばずいぶん遅い悔悟であったが、誰でも一度はこんな経験を通過して大人になってゆくのだろう―と思う。


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