「もの」としての石油


 現代文明は石油の上に築かれているといっても過言ではない。またその石油があと30年、長く見つもっても60年しかもたないというのも周知の事実である。代替エネルギーの必要も叫ばれて久しい。たがその研究開発はあまり進捗していないようである。

 ここで私が指摘したいのは、石油の「もの」としての価値をあまりにも軽視しすぎてはいないか、ということである。いうまでもなく現代社会はプラスチックを始めとした石油化学製品なしにはありえない。プラスチック=安い=二流品というイメージや、石油からの変換効率の高さから、石油のこの重要な特性を不当に軽視してはいまいか。エネルギーは他の方法でまかなえても、「もの」は造りだすことはできないのである。そうして見ると石油を燃やすことが非常な浪費に思えてこないだろうか。

 安く買えるうちはいいなどという考えは論外である。この20世紀の貴重な財産を子孫に可能なかぎり残すのは我々の責任ではないのか。そのためには一刻も早く代替エネルギーシステム、特に太陽エネルギーの効率的利用システムを開発すべきだ。今おこなわれているような小現模なものでなく、国家的プロジェクトとして推進すべきだ。

 これが完成してプラント輪出することができれば、真の意味で日本の技術力が世界に貢献できるわけで、世界の中での日本の役割を問われている今、日本にとって恰好のテーマといえよう。アメリカがアポロ計画にかけたような情熱を、日本は今こそクリーンエネルギーシステムに傾けるべきだ。


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