愛情の序列


 私はエゴを愛と対置させて示してきたが、この葛藤は常に個人対全体という関係において表れるわけではない。むしろそういったものは稀で、日常では個人対個人、会社対会社、宗教対宗教、主義対主義、国家対国家等様々なレベル、様々な集団の間で表れてくる。

 そうしたさまざまな場面で人が選択を迫られた場合、その選択の根拠になるのがこの愛情の序列である。つまり『自分に近しいものには多くの愛情を持つが、自分との距離が離れるに従い、愛情も稀薄になってゆく』ということである。一見何の変哲もない、あたりまえに見えるこの原理が、実は非常に重要なのである。

 それはつまり、さきほど示した理想をめざして努力をしようというとき、しばしばこの原理がその邪魔をするのである。例えば現在アフリカでは非常なる飢饉に見舞われて多くの餓死者を出しているが、そういう報道に接してもすぐに援助物資を送ろうとか、具体的な行動には移らない人がほとんどであろう。これがもし目の前に倒れている人だったら誰でも手をさし延べないではいられないはずだ。だが起こっている現実は同じことなのである。近いものは良く見える。が遠くのことは良く見えないのである。

 また戦争というものも、この原理の表れと見ることができる。人と人が殺しあうことが、互いに全く無益なことだということは誰でも知っている。にもかかわらず、戦争に向かうのは自国の利益を優先したいと考えるからである。

 ともかく、この愛情の序列が、人間の行動を説明するのに非常に有益であるとともに、我々が理想を実現しようとするとき、克服しなくてはならない障壁であることは間違いなかろう。

 これは、最近普及し始めたインターネットによって少しは改善されるかもしれない。世界中の人々が自由に平等に話し合いができるわけで、精神的な距離を縮めるのに多いに役立つ可能性がある。


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