結婚式


ずいぶん昔のことになってしまいましたが、結婚式のことを書き留めておきます。


●コンセプト

結婚式というと、神式、仏式、キリスト教式などが一般的ですが、なぜか私は、ギリシャの神々に誓うというのがしっくり来ると言うか、自分の気持ちにフィットするような気がしていました。夢で見た神殿のせいかもしれません。それで、新婚旅行もギリシャに行くことにしたのですが、そこで式を挙げるというのはちょっと無理そうなので、披露宴だけでもそれらしい演出ができないかと考えました。

●式場選び

いくつか下見をした結果、結婚式場として選んだのは目白にある椿山荘です。スタッフの人はこちらの希望をよく聞いてくれて、とても親切な対応をしてくれたので、たいへん感謝しています。

●衣装

ギリシャ風というと、まず思い浮かぶのはギリシャ彫刻などに見られる長い布をぐるぐる巻いたような衣装です。しかし、いったいどのように巻けばああなるのか、皆目見当もつきませんでした。また、あのようなきれいなひだ(ドレープ)が出る布とはどんな布なのでしょう? 絹なら良さそうですが、えらく高価になりそうです。いろんな店を見て歩いて、これなら良さそうだと思ったのはポリエステルの生地でした。早速それを10mほど買って来て身体に巻きつけてみましたが、ドレープはきれいにでるものの、あちこちから中が見えてしまって上手くありません。披露宴の席で下着がチラチラでは恥ずかしすぎます。

困っていたら、妻の友人であった古口さんが仕立ててくれるとおっしゃるので、その好意に甘えることにしました。おかげで、とても素敵な衣装ができ上がりました。古口さんはご自身の出産を控えていたにもかかわらず、難しい注文を引き受けてくださって本当に感謝しています。

●ギリシャサンダル

服は決まったのですが、履き物もそれに合わせなくてはおかしいことに気が付きました。革靴は論外だし、普通のサンダルでは披露宴会場に似つかわしくありません。何かぴったりの履き物はないかとあちこちの靴屋を探していたら、何という幸運でしょう。ありました。まさに思い描いていたとおりのサンダルが。ギリシャサンダルというのでしょうか、見ると「Made in Greece」という札までついていました。本当に私は恵まれていると、その時思いました。

●

妻が、「頭にも何かないとおかしくない?」と言い出しました。たしかに、言われてみると月桂冠とかが載っているほうがそれらしい雰囲気を出せそうです。しかし、月桂冠は勝利者に載せるものなので、それなら金と銀のリングを載せようということになりました。ところが、「言うはやすし、行なうは難し。」です。そんなリングはどこを探しても売ってはいません。イメージは明確にあるのですが、どこにもないのです。

それなら、作るしかないと腹を決めました。同僚の猪瀬先生に相談したら、アルミ板をリング状にしたものを作ってくれたのですが、アルミの質感は安っぽくてどうしても私の求めるイメージとは違っていました。本当に申し訳なかったのですが、遠慮させていただきました。猪瀬先生、ごめんなさい。

「窮すれば通ず」という諺があります。まさにそのとおりのことが起こりました。国分寺駅のそばに、クレヨンという小さな宝飾店がありました。そこの主人(おばあさん)に「結婚式に使うのだが、こんなものはないだろうか」と相談したら、知人に頼めば作ってもらえるかもしれないというのです。さっそくお願いしたところ、格安で作ってくれる事になりました。銅板のリングを叩いて微妙な凹凸を出し、金メッキしたものと銀メッキしたものを作ってもらえたのです。本当に有り難いことだなあと思いました。

●聖火台

キャンドルサービスで各テーブルに火を移したあと、聖火台に点灯するという演出を考えました。ところが、この聖火台もどこを探しても売ってはいませんでした。それなら作るしかないということで、いろいろ知恵を絞りました。まず、炎は登山のときに使ったりする缶詰め状の固形燃料を使うことにしました。問題は台です。どうすればあの逆円錐台がつくれるかです。何か方法はないかと考えながらアートマンを歩いていたら、格好のものを見つけました。木製のごみ箱です。あれに石膏を流し込んで固めればバッチリ聖火台の形になる。そう思いました。やってみると、固形燃料を入れる窪みも付けて見事にできたのは良いのですが、ごみ箱がはずれません。石膏は固まると膨張するのでしょう。ぴったりくっついてはがれないのです。仕方がないので、ノコギリで切ることにしました。石膏を傷つけないように細心の注意を払いながら切っていきました。パカッとはずれたときは歓声を上げたほど、それは正に思い描いたとおりの聖火台が出来ていました。

●ファンファーレ

最後にファンファーレです。私が作曲したファンファーレをDXー7で弾いて録音したものを聖火台の点灯と共に流してもらいました。

●感想

この体験を通じて思ったことは、ちょっとした思い付きでも現実にするには非常に多くの努力が必要だということです。

「ちょっとした思い付き」にも創造の喜びがあり、努力が実を結んだときには更なる喜びが待っています。

キリストが言った「求めよ、さらば与えられん。」という言葉は本当なんだなあ、と思いました。


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