文学


小説の中の「におい」について− これが私の卒論の題でした。


●小説のおもしろさは様々ありますが、「歴史の波に洗われても生き残るような作品、名作といえるような作品の条件は何だろうか」ということを考えた末に達した結論、それがこの「におい」でした。

●小説の中で、説明したり分析できるようなことは、所詮それだけのものでしかありません。プロット(構造)やキャラクター、思想やレトリック、言葉遣いのおもしろさなどは早晩、仮面をはがされてしまう運命にあります。

●永遠性をもたらすもの、それは「におい」なのです。説明しても説明しきれない、何ともいえないある雰囲気や感じとしか言い表せないもの、それが「におい」です。「小説を芸術たらしめているもの」、あるいは「小説の中の詩的成分」といっても良いでしょう。

●いい作品の評価に「文学的香気が漂っている」という賛辞が使われるのもその傍証にはなると思います。

●「におい」にはもともと、明確に正体を突き止めようとすると、煙のように消えてしまう性質があります。ふと、ほのかな香りが漂ってきて、いったい何のにおいなのかと確かめようとしたときにはもうそのにおいは感じられなくなってしまう。そうした性質が「におい」にはあります。

●小説の中に感じられる「におい」にも同じような性質があると思います。ですからこれを分析的に扱うことは不可能です。

●しかし、少なくとも私にとって心に残った作品には皆この「におい」があったと思います。つまりこれからの作家にとっては、いかにこの「におい」を持った作品が作れるかというのが重要なテーマになるのではないか。ということを卒論では訴えたかったわけです。

●その成功例としていくつかの作品を挙げておこうと思います。

幸田露伴「五重塔」

夏目漱石「夢十夜」「三四郎」「行人」「こころ」

芥川龍之介「蜘蛛の糸」「羅生門」

田宮寅彦「絵本」

井伏鱒二「山椒魚」

三島由紀夫「金閣寺」

大井三重子「めもあある美術館」

遠藤周作「沈黙」

庄司薫「蝶をちぎった男の話」

安部公房「燃え尽きた地図」「箱男」「砂の女」

●また、これを意識して作っているのかどうかはわかりませんが、少なくとも今日、その路線上にいる作家として村上春樹を挙げておこうと思います。「1973年のピンボール」「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」「羊をめぐる冒険」「ダンスダンスダンス」「ねじ巻き鳥クロニクル」などどれをとっても「におい」を強烈に感じる作品です。彼の作品にある魅力もそのあたりにあるのではないでしょうか。


ホームページに戻る