1998.4.26 「瞼の母」歌舞伎座


歌舞伎座で、長谷川伸作の「瞼の母」を上演していると知って、やもたても堪らず馳せ参じてしまった。演じるのは、先々月「浅草パラダイス」で大感動させていただいた中村勘九郎さん。勘九郎さんは、長谷川伸先生の戯曲をライフワークとして演じていると聞くし、演目である「瞼の母」は、長谷川戯曲の最高傑作と名高い作品であもある。
演っているのにぜんぜん気が付かず、観る予定に入れていなかったのだが、ぴあを読んでいて気が付いたので、一幕見で急遽観ることにした。これは見逃したら、かなり後悔することになるな、っと思ったからね。



公演そのものに気が付くのが遅かったため、ラク日にしか行けない状況になってしまった。千秋楽ということで、果たしてブラリと行って観られるものなのかと思い松竹チケットホンに電話したのだけど、「ご覧になれますよ」っとあっさり言われたので(笑)、悠々と暮れかかった銀座へ赴いた。



<筋書>

「瞼の母」は、以前に萬屋錦之介さんの映画でも観たし、戯曲の本でも読んでいて、俺にはとても馴染みのある作品なんだ。
ストーリーは、潔癖とも言えるピューリタニズムへの理想主義と、それに相反する人間の愚かさへ注がれる慈愛で構築されたものだと思うんだ。

五才で母親と生き別れ、九才で父親と死別した江州番場の宿(大辞林によれば、滋賀県米原町の地名。鳥居本と醒井(さめがい)の間にある中山道の旧宿場町)産の忠太郎は、生い立ちの不幸さからグレて渡世人となっていた。瞼の裏におぼろげに浮かぶ母の面影を求めて、風の便りにすがり江戸へとその消息を訪ねると、母であるおはまは大店の料理茶屋の女将に納まって、忠太郎とは異父妹にあたる娘をもうけていた。

再会した忠太郎に、おはまは「どうせ大店の財産が目当てで名乗り出たカタリだろう。真実の息子であったとしても、母一人娘一人の楽しい暮らしに波風を立てないでおくれ」とけんもほろろに取り合わない。
忠太郎に、無論財産の目当てなどありはしなかった。ただひたすらに、母の愛情を求め、再会かなった暁に、もし母が不幸な身の上でありはしないかと、金百両を胴巻に納めけっして手をつけずに持ち歩いていたほどだった。
自らの母への幻想を母本人から打ち砕かれた忠太郎は、「上下の瞼をとじりゃあ絵で描くように見えていたものを、わざわざ骨を折って消してしまった」っとおはまに捨て科白を残し、母のもとを去る。
その様子を障子越しの伺っていた妹のお登世は、おはまの非人情を涙ながらになじる。お登世の言葉に、自分の心得違い気付いたおはまは、登世おとともに、忠太郎を探して追って行く。

再び旅人(たびにん)となった忠太郎に、荒川堤で母娘は追い付いて忠太郎の名を呼ぶが、ひがみと反抗心が募る忠太郎は、芒むらに隠れ再会を拒みやり過ごす。
その忠太郎に、以前に渡世の義理で人を殺めた仕返しの追っ手が迫る。非情な追っ手のやくざ者と刃を交えた忠太郎が白刃を挟んで、尋ねる・・・。
「てめえ、親は居るのか?子は?」
「そんなもん、居ねぇよ」
その言葉を聞き終わる刹那、忠太郎の長脇差が追っ手を斬り臥せ、彼は何処ともなく股旅の道へと歩みだした・・・。



勘九郎さんは、ほんとに凄いな。まず、芸のレンジがほんとに広いと思った。だって、俺がこないだ観たのは「浅草パラダイス」のダメ亭主だぜ。
あれも本当に面白い、楽しいお芝居だったけれど、「浅パラ」観ただけじゃあ片手落ちだと思ったし、その「浅パラ」で多いに楽しませてもらったご恩返しのような気持ちもあって、今回の「瞼の母」を観たのだけど、本当に素晴しいお芝居で観て大正解だった。

お父さんの勘三郎さんが当たり役にしていた長谷川作品を勘九郎さんが演じるというのは、歌舞伎の世界では作品を血縁で受け継いでゆくのが当り前だから当然とも言えるのだろうけれど、なんというかその当然以上に、勘九郎さんが長谷川作品を演じる自己の必然をもっておられるんだろうな、っというのを感じた。

初めて歌舞伎座で歌舞伎を観たド素人が、なにも言えた義理じゃないのだけれど、歌舞伎での上演といっても、長谷川作品というのは近代の視点から書かれた戯曲であるし(昭和5年作)、お芝居をとてもコンテンポラリーな表現と捉えている勘九郎さんが近代的視点の準古典である長谷川作品を演じるのはやっぱり必然なんじゃないかと思った。

だいぶ前になるけれど、TVでON AIRされた三島由紀夫作の「椿説弓張月」を観たときも、同じようなことを思った。弓張月は平家物語の時代の源為朝伝説をもとに、江戸末期の戯作者、曲亭馬琴が書いた読本を、三島由紀夫が戯曲化したものだった。これも、近代の視点のある歌舞伎作品だったと思うのだけれど、主人公の為朝を演じた松本幸四郎さんに比して、勘九郎さんの礫(つぶて)の紀平治が物凄くブッ飛んだ役に思えたのを覚えている。なんか、違うって思えたんだ。良い悪いなんて、俺には分からないけれど、とにかく「違う」と思った。歌舞伎のことは、ほとんど知らなかったのだけれど、なんとはなしに、「歌舞伎てものは、所謂伝統芸能というのと違う側面がちゃんとあって、非情にコンテンポラリーな表現スタイルなんだな」っということに、そこで気が付かせてくれたのが、俺にとっては勘九郎さんだったんだ。以来、TVの中継では、歌舞伎をちょくちょく観るようになった。

勘九郎さんは、現代物のTVドラマなんかでは冴えないオヤジの役(NHKのドラマ、「バラ色の人生」)なんかも演っているし、トーク番組なんかでお話しを聞いても抜群に面白い。交友関係も、野田秀樹さんや渡部えり子さんらとの付き合いのほうが多いと聞く。発言や文章を見聞きすると、江戸時代の歌舞伎は古典でも伝統芸能でもなく、その時代の視点で創作された、いわば今の小劇場の演劇により近いものだったのじゃないかというような事もおっしゃっている。
なんか、それが全部俺にとっては格好良いんだ。その勘九郎さんが、とても大事に演じておられる長谷川作品ということなのだけれど、俺は多いに感動したし、本当に観て良かったと思ったね。



戯曲、「瞼の母」に関しては、もう何も言うことはない。本当に、長谷川伸という人は偉大だと思う。俺なんかが言わずもがな、だよな。これまた俺が大尊敬する漫才師であり映画監督でもあるビートたけし、殿も、「日本人は長谷川伸の凄さをちゃんと認識しないといけない」と著書で書いている。

「瞼の母」では特に、人間のエゴとか弱さが写実的に描かれているんだ。そして、その弱い人間に対しての、作者の愛情が感じられるところが、また俺は好きなんだよ。俺は、つい最近まで戯曲の本といえば、ちくま文庫の「瞼の母/沓掛時次郎」しか持っていなかった(笑)。

たたみかけるように、ヤクザ者の忠太郎がいかに母の面影を切実に求め彷徨っているかを描き、かつ、ヤクザ渡世に身をおく者が、いかに世間からも、身内からさえも、嫌われ疎まれる悲哀を背負った存在であるかを提示し、最後の忠太郎の科白に全てを集約させる脚本は、更めて俺の心を打った。至宝であると思う。



長谷川伸先生は、3才で母親と生き別れ、その後生家が没落したため、小学校を中退して働きに出たという。横浜港での港湾労働などを経験した後、20才のときに新聞社に入社して創作を始めたのだそうだ。余談だけど、「鬼平犯科帳」や数々の名エッセイ(「食卓の情景」など)で有名な池波正太郎先生の、お師匠さんでもある。

作中の主人公に劣らず、人生の辛酸を舐め苦汁を飲んだ体験があるだけに、不幸な境遇に置かれた作中人物の描写に血の通ったリアリティがあるのだと思えるし、そしてまたその人物達に愛情を注げたのだとも思う。

ストーリーは、物凄くペシミスティックで悲劇的なのに、この「瞼の母」を観終わった後には、不思議と清々しい気持ちになれる。これは、長谷川先生が、誰よりも人間の弱さや惨さを肌で知っていたことの証しでもあるのだろうし、そしてまた「お芝居」というものは、その弱き人間が生きるに於いての「心の糧」となるものでなければならないという、劇作のスタンスをもっていた事を物語るものなんじゃないかと、俺は思うな。

勘九郎さんのお芝居は、忠太郎を過度にヒーロー然と描くことなく、端正にして、抑制があり、また人間味あり、深く、ほんとうに良かった。長谷川世界を、より深く味わうことができた。
また、勘太郎ちゃんが忠太郎の妹役だったのだが、もうこんなおっきくなったんだぁ(笑)と、驚きとともに頼もしく思った。



幕見で、二幕五場、¥1,100。幕見席には、初老以上の年代の男性客が目に付き、大向こうからの掛声も耳に心地良く、まったく満足々々。歌舞伎座四階から階段を降り、外に出ると、とっぷりと暮れた東銀座に、吹く夜風がなでる俺の頬は、きっと紅潮していただろう。30男の、正しい休日の過ごし方だったと思う。長谷川伸と、勘九郎であった。


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