安土城概略

法学部2年22組41番

熊谷恵

〜はじめに〜

 日本列島において近代までに築かれた城は約2万といわれています。日本の城と聞いて大抵の人が想像する姿(姫路城、大阪城、名古屋城など)は、其の多くは関が原の合戦(1600)前後の、近世城郭と呼ばれる日本式の築城技術の完成期前後のものです。織田信長が築いたことで有名な安土城は最初の近世城郭と言われています。が、その安土城は短期間で廃城になってしまった為、その姿は当時の数少ない記録と、発掘調査からしか推測するしかありません。長年にわたる調査から次第に全容が明らかになりつつあり、安土城がその後の近世城郭に与えた影響とともに、その独自性が明らかになってきています。

〜城の地理〜

安土は、それまで信長の本拠だった岐阜と京都の中間にあり、付近に中山道が通り東国にも西国にもにらみがきかすことができます。城の築かれた安土山(標高199m)は、当時は琵琶湖に突出した半島であって、水運を利用すれば半日で京都に行けたといわれます。まさに交通の要衝でした。

〜城の歴史〜

天正4年(1576)、信長の命を受けた家臣の丹羽長秀によって築城が始まりました。人員は信長の支配域11カ国から動員され、大工や職人は京都、奈良、堺から召集され、天正7年(1579)、天主が完成して一応の城の完成を見ます。そのわずか3年後の天正10年(158262日、本能寺の変で信長が斃れると、その直後に城は炎上してしまいます。その原因としては、本能寺の変後に入城した明智秀満(光秀の娘婿)が、山崎の合戦後に城から撤退するときに火を放ったとか、秀満撤退後に入城した織田信雄が、明智の残党を掃討しようと城下に火を放ったら城まで焼けてしまったとか、いくつか考えられていますが、はっきりしていません。大抵、ここで話は終わってしまいますが、この後、安土城主には、織田信忠(信長の嫡男)の嫡男三法師が就任し、翌年から秀吉と丹羽長秀によって天主を除く城の再建がなされたようです。城がいつ廃城になったか記録でははっきりしません。天正13年(15858月、羽柴秀次(秀吉の甥)が安土の近くの近江八幡の比牟礼山に城が築き、城下と城の建物もそこに移されました。この時期に安土城は廃城になったとみられ、信長の死後も3年弱は使われたことになります。現在の城の遺構はこの三法師時代のものも含まれています。

〜後世への影響〜

 安土城が最初の近世城郭と呼ばれる理由は以下の点が挙げられます。

○総石垣造りの城

それまでの城は土塁を中心に造られていました。石垣も用いられていましたが、わずかに主要な部分だけでした。安土城はほぼ全域に石垣が使われています。これは近くに、寺院の石垣を手がけた馬淵・岩倉の石工集団と石材地に恵まれていたからからです。また、鉄砲の伝来により塀や土塁を防備の要としたそれまでの築城法を考え直さなければならない時期で、替わって石垣が注目されていたのも理由のひとつです。安土城以降、石垣の技術は発達し、全国に広がっていきます(ちなみに、石の乏しい東日本は近世になっても土塁中心の城がほとんどでした)

○初の巨大天守閣

 多くの人が城を想像してまず思いつく建物はこの天守閣(安土城の場合は天主と言います)だと思います。当時の資料から安土城の天主は外観5層、内部は地下を含めて7階建てだったとわかっています。しかし外観、内部の詳細な記録は分かっていないので、研究者によって復元イメージはさまざまです。

〜安土城の特異性〜

 一方で後世に残らなかった特異な点もありました。

○城内に寺院

 安土城内にはハ見寺という寺があります。城中に宗教施設があった城は安土城以前以後もありましたが、一同伽藍をすべて備えたものはこの寺だけだそうです。ヨーロッパの城郭が城の中枢と教会が双立していることをヒントにしたという考えもあります。

○本丸に清涼殿

 城の城主が居住する建物がある部分を本丸といいますが、安土城の本丸にあった建物は清涼殿、天皇が起居する建物、とその付属の建物であることが判りました。記録によれば実現しなかったものの信長は天皇を安土の呼ぼうとしており、それを想定して建てられたと思われています。

○天主に居住

 本来信長がいるべき本丸に天皇を呼ぼうとするのならば、信長自信はどこに住んでいたかというと、彼は天主に住んでいました。天主の234階が信長と家族の居住、接客の空間になっていました。天守閣は、平時は倉庫として使われ、戦のときは物見や防御施設として使われるのが一般で、居住空間として利用したのは信長だけです(座敷の多さから本丸の建物は儀式を執り行う場所であり、天皇は天主内で暮らすようになっていたという説もあります)5階以外のいずれの階も狩野永徳・光信親子による障壁画が飾られていました。67階は特別な空間で、8角形をした6階には釈迦と十大弟子などの仏教世界が、金箔で覆われた7階には、三皇五帝、孔門十哲などの古代中国の賢人が描かれていました。

〜おわりに〜

 安土城最大の特徴は、信長の思想が反映されていることということです。本丸に清涼殿があるのは天皇の権威を利用しようとしたとか、遷都を計画していたとさえ言われています。天主の67階の障壁は、彼が聖人や仏を超えた存在として君臨することを表現しているといわれます。彼は自信を神として崇拝させようとしていたようで、ハ見寺の本堂に、「盆山」と呼ばれる石を安置して彼の化身として礼拝の対象にしたと記録にあります。

 信長の死後、秀吉・家康は安土城をしのぐ規模の居城、大阪城・江戸城を築きますが、彼らは信長ほど、自分の理想を城に表現することはありませんでした。安土城の往年の姿を思い浮かべることは、信長という人物に触れることになり、安土城の大きな魅力のひとつです。

                法学部2828番  戸田 亜依

          

 現在、各飲料メーカーは、お茶製品に力を入れているといわれています。実際、メーカーのホームページの自社商品のページをのぞいてみると、各メーカー、お茶だけで10種類前後ありますし、コンビニの飲料コーナーは、ここ数年の間で、お茶が占める割合がどんどん大きくなっていっています。コンビニは、スーパーなどに比べると、売れるもの、はやっているもの(新製品)がメインで置かれています。そんな性質をもつコンビニで、お茶がたくさん置かれている、ということは、ただお茶の種類が多数あるというだけでなく、

消費される量が多いということも示しているのです。お茶製品を出している飲料メーカーの中でも、私はとくに伊藤園のお茶が好きで、ほとんど伊藤園のお茶以外のものを飲むことがないので、伊藤園のお茶についてふれてみます。伊藤園のお茶といえば「おーいお茶」が一番有名ですが、その「おーいお茶」、私が知っているだけでも10種類あります。まず、一番よく知られ、どこにでもおいてある、緑のパッケージの「おーいお茶」。そして皆さんもご存じかと思いますが、春、夏、秋、冬、とそれぞれの季節に限定で販売されている、季節限定モノ。もちろん、味も季節にあわせて違うみたいです。私が一番好きで、よく

飲んでいた「夏冷茶」、これについていわせてもらいますと、お茶の中にはカフェインも含まれています。夏は他の季節に比べると、どうしても水分を多くとってしまいがちです。その水分補給をお茶でとると、カフェインも多くとってしまうのです。なので、たくさんのんでも大丈夫なように「夏冷茶」は味がうす味になっています。といってもものすごーくうすい!というわけではなく、むしろ飲みやすいです。話がずれたので、「おーいお茶」の種類の話に戻ります。ついこのあいだまでコンビニなどに置かれていた、「深蒸し緑茶」。実は、これは関東地区限定での販売で、同じ時期、関西では「玉緑茶」なるものが発売されていたそうです。残りの3種類は、地域限定ものです。上にあげたものも地域限定ですが、この3種類はさらに限定されていて、静岡・静岡茶、京都・宇治茶、福岡・筑摩茶といったかんじで、それぞれその県・府と周辺地域でのみ、販売されていたらしいです。もしかすると、某大手ファーストフードのように、狭い範囲の地域限定で試験的に販売して、売り上げがよかったものだけが全国デビューするのかもしれませんが。このあと、調べてみましたが、どうやら、静岡茶については、関東地区でも、販売が開始されたようです。また、販売会社は違いますが、これもたぶん地域限定(東海地方?)で販売されているもので、「できたて緑茶」というものを見つけました。見た目、水しか入っていないので、ミネラルウォーターかとも思いましたが、なんと、キャップをひねると、どういうわけなのか、そのキャップからお茶の粉が出てきて、それが水と混ざるのです。自分でも多少振らないといけないようですが、完全にキャップをあけなければ、空気が入らないので、お茶が泡だってしまうことはないようです。これは本当にびっくりしました。味もなかなかでした。ただ、350mlくらいの容量だったと思いますが、値段は180円ほどということで、多少高めです。

 

 

 また、最近では特定保健用食品(特保)の許可をもつ、お茶製品も、各メーカーから

出てきています。特保とは、体調を整えたり、病気の予防に適するなどの、保健の効果が期待できる食品のことをいい、厚生大臣の許可が必要とされています。許可の有効期限は

4年だそうです。あくまでも、体調調節機能を高めた食品、ということですが、特保の表示がされているということは、その商品の確かな品質を保証し、わたしたち消費者が必要な商品を選ぶための目印となるということで注目されています。その中でも、いまいちばん熱いというか、話題になっているのが、花王から出された、「ヘルシア緑茶」です。これは、茶カテキンというポリフェノールの一種が豊富に含まれているのですが、その茶カテキンが脂質代謝を高めてくれるので、体脂肪減少につながるのです。それと同時に茶カテキンは苦味成分でもあるので、飲みやすく改良されているとはいえ、やはりなかなか苦いようです。ダイエット効果はない、と花王のホームページには書かれていましたが、続けて飲むと、便秘が解消される人もいるらしいです。

 炭酸飲料やジュースに比べると、お茶はとても健康的な飲み物ですし、色々な種類があることにより、わたしたち消費者側の好みにあわせて、選んで買うことが可能ですが、

種類が豊富ということは逆に、メーカー側にしてみれば、先程とりあげたような「できたて緑茶」といった、いままでになかった、新発想の商品を発売したり、あるいは人気タレントやキャラクターをCMに起用したりして、その商品の名前を売り込んでいかないと、消費者に選んでもらえないということにもなるのです。お茶業界に限ったことではないですが、メーカーはただ新製品を作りだすだけではなく、どう売っていくかも考えていかなければならないと思いました。