●●●「すずめヶ丘」とは●●●


宇佐見承氏の『池袋モンパルナス』によると、「すずめヶ丘」は池袋で最初のアトリエ村があったところ。昭和6年頃には、貸アトリエがあたりにひしめいていたそうだ。今もなつかしいこの路地裏は、意外性に満ちたその細い道筋で、散歩しているとのんびりと心安まる街並みだ。

アトリエ村「すずめヶ丘」の祖は、慶応3年生まれの、侍の末裔のおばあさんだそうだ。絵描きを志した孫のために建てたのがアトリエ第一号、と宇佐見氏は書いている。

『池袋モンパルナス』には、次のような一節がある。

「すずめヶ丘」の中央通りといってもよい道をしばらくいくと、 右側の、すこし大きな敷地に・・・家が三軒たっている。詩人 花岡謙二が経営していたぼろアパート「培風寮」の跡である。 「培風寮」ができたのは関東大震災後の大正十三年、つまり老 女の貸アトリエがたつまえのことで、あたり一面の竹やぶに終日、 雀のさえずりのやむことがなかった。 「培風寮」には、絵かきや、文士の卵やモデルや、女給や、屋台 のそば屋の主など、その日の糧にも困る人びとがたむろしていた ・・・ 今でも、そんな雰囲気をかすかに偲ばせる残る一帯だ。