石段を登ると端正な形の五重の石塔がある。頼朝の墓だ。訪ねる人は多くなく、今日は3人の方が参拝していた。
1995年に美術史家の米倉廸夫さんが提起して以来、神護寺所蔵の「伝源頼朝像」のモデルは足利直義だというのが現在の通説になっている。
私の頼朝のイメージは以前の教科書に載っていた貴公子の風貌をしたこの肖像画だけなので、これが頼朝ではないとすれば、頼朝はどんな顔をしていたのだろうか。
帰宅して教科書出版社帝国書院のホームページを調べてみたら、「源頼朝の顔貌を示す像はほかにないのかという視点で史料を検討した結果、甲斐善光寺に伝わる「源頼朝像」が唯一当時の源頼朝の顔貌を示す座像であることが分かってきました。(中略)弊社では甲斐善光寺の座像を源頼朝として紹介しています。」とあった。
善光寺の座像はしたたかな武人の風貌をしている。 戻る