学校院跡
Remain of ancient national university

大宰府学校院跡。このあたりの地名を「学業」という。こういうところで育ったら少しは勉強ができたかも知れない。
学校院は官吏養成の機関だった。学生は九州一円の国司・郡司の子弟だったようだ。全盛期には数百人の学生がいて、文章博士、音博士、明法博士、学授などと呼ばれる一流の教授陣から厳しく鍛え上げられた。「五経」「三史」等の書物を教科書に、政治・医術・算術・文章など、役人として必要なことを学んだ。所定年内に必要な科目を修得した後に、試験に合格すれば役人として採用された。近代の帝国大学といったところだ。
大陸の窓口だから、中国語は必須で、当然帰化人もいたのだろうな、などと想像してみる。
ウメモドキだと思うが、赤い実がたわわに生っている。