藤原京跡からの耳成山
Mt.Miminashi from the old site of Fujiwara-kyo

藤原京跡からの耳成山 山茶花が散り始めた。
藤原京の欠点は、宮殿のある北(正面の耳成山の方面)が低湿地だったと言われるが、平城遷都は孫の首皇子を帝位に着かせるための藤原不比等の熱望であり、702年に持統天皇が没した後8年後にこの地は「旧都」になった。
「飛鳥の 明日香の里を 置きて去なば 君があたりは 見えずかもあらむ」 (万葉集巻一 78、新古今和歌集巻第十 896)元明女帝の、ここを離れたくなかった気持ちが詠まれている。

耳成山は、能曲「三山」では女性「桂(かつら)子」であり、同じ女性である畝傍山「桜子」と、男の香久山「かしはでの公成」を争う。香久山は桜子になびいたので、桂子は耳成の池に身を投げてしまう。「三山」の後半では、桂子と桜子の美女二人が互いの恨みをはらすべく、唐織の片袖を互いに打ち合って争う。すさまじい。
「香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相争ひき 神代より かくなるらし いにしへも しかなれこそ うつせみも つまを 争ふらしき」(巻一 13)中大兄皇子のこの歌では耳成が男か女かは定かでないが、額田王をめぐる弟の大海皇子との関係を思えば、男と考えた方が面白い。       戻る