中門と仏殿
Central Gate and Buddha Hall

寿福寺は中門までは入れるが、そこからは非公開だ。いつか機会があれば、本尊の釈迦如来像の胎内に収められていた北条政子が描いたといわれる「日課観音図」を拝見したい。美術史家の岩橋春樹さんは「素描風の小品ではあるが、格調の高さという点では群を抜く作の一つである」(「中世鎌倉美術館−新たな美的意義をもとめて」)と書いている。

寺には詩人の中原中也が住んでいたことも知った。昭和12年2月に東京の市ヶ谷から寿福寺境内の借家に転居して、この静かな環境で詩作や翻訳を続けたが、その年の10月に30歳で没した。中原は絶作の詩集「在りし日の歌」の原稿を友人の小林秀雄に託し、翌年刊行された。
学生のころ中原中也の詩を読んだ。
 「汚れつちまった悲しみは たとへば狐の皮裘 … 」や「思へば遠く来たもんだ 十二の冬のあの夕べ … 」などの詩の断片はまだ浮かんでくる。
若いころの中原中也と小林秀雄は女優の長谷川泰子に出会い、やがて別れた。先月公開されたばかりの映画「ゆきてかへらぬ」はこの三人の物語だが、観るかどうか、迷っている。   次へ