黒川能 バック  ホームへ  next 黒川能王祇祭記録

更新2000年7月12日 


黒川能東京公演報告

国立ポスター

線10
黒川能王祇祭演目櫛引町公式黒川能情報

菱形1999年8月黒川能東京公演報告菱形
8月29日 国立能楽堂 3部制 式三番付 能5番 狂言4番 付祝言能有

     
(左から「翁」「嵐山」「蟹山伏」「鈴鹿山」「現在熊坂」「淡路」)
   赤丸 10時半 一部  演目 式三番(翁・上座 / 三番叟・下座) 嵐山(下座)

   赤丸 14時  二部  海士(上座)/蟹山伏(狂言上座)/龍田(下座)

   赤丸 18時  三部  鈴鹿山(上座)/附子(狂言下座)/現在熊坂(下座)/淡路(付け祝言上座)
       入場料 正面4500円 脇正面3000円 中正面2500円 学生1900円

満員御礼 全席完売 補助席がでました。


国立能楽堂パンフレット

      
翁・上野由部太夫           能「嵐山」猿婿           能「海士」後



国立能楽堂 能楽鑑賞講座  (99年8月25日午後2時開始)

 「黒川能」 特別企画公演「黒川能」にちなんで、黒川の歴史と魅力について、映像をまじえながら解説があります。
 講師 桜井昭男
 ○ 会場 国立能楽堂大講義室(2階)
 ○ 定員 160名(当日先着順)
 ○ 入場料 無料
満員御礼 入場出来ない方もいました。


    kumoriみどころ!!kumori
黄色丸千歳  上座千歳釼持不思議君、今年から孫爺さんの芸を継ぎ千歳を勤めています。
黄色丸    下座能太夫上野由部師が代演 後見上座能太夫釼持松治太夫 上座の「式」なので、上野由部太夫の付けは上座付け衆が担当し上座の装束付けでおこなった。
黄色丸三番叟 下座清和政治師の躍動感あふれる三番叟です。
黄色丸嵐山  間狂言に「猿婿」がでる。
黄色丸海士  前シテは右手に鎌、左手に杉(ミルメを表す)を持ち登場、出で立ちが五流と違っているのに注目、演技もリアルなところがある。前シテ釼持賢治師。後シテは釼持松雄師
黄色丸鈴鹿山 五流廃絶曲 宣旨により坂上田村丸(ワキ・征夷大将軍坂上田村麻呂のこと)が勢州(伊勢)の鈴鹿山に住む赤頭の四郎将軍という鬼神(シテ)を退治に行く。鈴鹿山につくと一人の美人が居るので名前を尋ねて鬼神の居場所を聞く。女性は鈴鹿姫(オンナ)と答え、鬼神は奥州安達が原に行っているので、明け方にならないと帰ってこないという。 鬼神を討つなら、私も(鈴鹿姫)怨む子細が有るので田村丸に征伐をお願いし、夜の明けるのを待つ。(中入り)
 鬼神赤頭の四郎将軍は安達ヶ原からの客人を招いて崇め(あがめ・尊いものとして敬う)酒宴を開く。酒宴の最中、鬼神は鈴鹿姫が居ないので心配になる。舞姫二人(ツレ)登場し「羽の舞」を舞う(相舞が見所の一つ)。 舞が終わると坂上田村丸と従者二人(これが軍勢をあらわす)が登場し斬り合いになる。 軍勢は鬼神に圧倒され退散する、坂上田村丸が登場し鬼神と一騎打ちになるが勝負がつかない。 そこに鈴鹿姫が赤いタスキをして登場(黒川独特の着付け、タスキは労働していることを表現するきまり)して鬼神に助太刀をすると見せかけ、鬼神に討ってかかる。 優勢だった鬼神は鉞(まさかり)で応戦するが、だんだん力つきて。坂上田村丸と鈴鹿姫により討たれてしまう。
 メデタシメデタシというような話です。
黄色丸現在熊坂  能「熊坂」は黒川能上座の番組ですが、「現在熊坂」は下座の持ち番組です。下座ではこのほかに牛若丸をあつかった能「烏帽子折」「笛の巻」をもっています。「現在熊坂」は現在物の能で、詞章は「熊坂」から大半を流用しています。 後の部分が現在能形式なので「熊坂」では長範が一人で戦いの様子を表現しますが、「現在熊坂」では長範と牛若丸が出て斬り合いの様子をみせます。長範が切られて退場する場面も見所のひとつです。
 作者不明で元禄二年(1689)刊行の謡本が古い記録です。
(黒川水焔能パンフレットより。私の黒川能百番」にも掲載予定です)   


国立能楽堂 裏話報告(99年8月版)

前夜祭 8月28日9時半庄内空港を出発して11時には東京着。13時半から国立能楽堂でリハーサル(申し合わせ)。私はフィルムをヨドバシで購入してから、16時過ぎ国立能楽堂へ到着。リハーサル風景を撮影させてもらえないか打診したところ「NO」。29日の本番も撮影禁止です、のおまけ付き、ダブルパンチ。
 「黒川能カレンダーどうするんだろう?」 が最初の疑問。29日は私が写真担当の理事をしている、秋川歌舞伎「あきる野座」の撮影を、ほかのカメラマンにお願いしてあるので、私も秋川歌舞伎の撮影に行ってもいいなあ、と一瞬選択に迷う。
 カレンダーの話を聞いて、劇場の方が、「両座の太夫さんの許可を貰えば撮影を許可します」と助け船。リハーサル終了後上座と下座の太夫さんの許可をいただき、29日本番の撮影許可が下りた。
 「撮影禁止」ですなおに引き下がって居た方がよかったのか、考えさせられた。私としては演者の気持ちを考えると、黒川能を一番多く撮影している、私が記録しておく方が、(国立能楽堂に必要な写真をいちいち借りるより)一番良いと思って選択しましたが、「自分の思いこみと、相手の思いの違いをどう乗り越えて行くか」が課題のようです。
 リハーサル終了後黒川衆は徒歩で能楽堂から宿舎の日本青年館まであるく。約1時間の待ち時間を食堂ですごす。
 6時50分頃食事も終わり有志でエビスビアステーションへ小学館井本氏の予約で最初10名すわれその後さみだれ式に全員固まって座り、大いにもりあがりました。9時半頃打ち上げ、29日の本番へ向けておおいに盛り上がりました。
(続く)



国立能楽堂 前売り開始日 7月9日(金曜日)朝10時(要確認)


 前回の東京公演は1日で完売と聞いています。今回も1日で売り切れが予想されます。櫛引町HPに国立能楽堂切符入手苦労話の「書き込み」があります。参考にして切符入手作戦を立てましょう。
 私は後ろのスモークのガラス張りの部屋から見学予定です。切符の入手方法ですか、内緒です。

 赤丸前回のこぼれ話赤丸
 前回東京公演の打ち上げの宴会は上野駅前の聚楽でおこなわれました。蛸井伊右衛門(徹雄)さんのお話では、お酒を飲んでもすぐ前が夜行列車の出発駅だから、全員迷わず黒川へ帰れるとのことで、聚楽を選んだ、とのことでした。
 となりは御徒町ですが、アメ横でおみやげに「浅草海苔」を買いましたが、あとで数えたところ、数が少なかったうえ、聚楽でお酒を飲んで、どこかにおいてきてしまった。というような話も聞きました。
 私は宿舎の日本青年館でコップ酒を飲み過ぎて、つぶれてしまいました。このとき蛸井伊右衛門さんから、渡辺さんもこれで「黒川人」になれましたね、と言っていただけました。
 蛸井伊右衛門さんは数年前、孫の徹さんへ名前を譲り、現在は蛸井徹雄さんです。98年の王祇祭では下座の当屋当人を勤めました。
 この公演では写真を提供した関係で、カメラマン室から写真を撮りましたが、安い三脚を使ったものですから、ブレが発生して、あわてて頑丈な三脚を購入しました。
 今回もカメラマン室から黒川能を拝見する予定です。(ですから切符購入で並ばなくて良くなりました)
 懐かしい思いでです。

国立能楽堂HP  国立能楽堂HPと非公式HP その2  その3

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