「鷲宮催馬楽神楽の歴史と特徴」
鷲宮(わしのみや)神社の社伝によれば、社名は「土師の宮」はじの宮が、わしの宮が転訛した伝えられている。
鎌倉時代には幕府にゆかりの有る神社としてあがめられ、徳川家康は鷲宮神社に社領として400石の寄進をしています。
神楽がいつから始まったかは、さだかではありませんが、東鑑にも紹介されており、江戸時代享保年間に大宮司藤原国久が36座の曲目を12座に再編したといわれています。現在は12座のほかに「端神楽」外「天津国津狐之段」番外「太刀折紙之段」が伝承されています。
演目は日本書記・古事記の神話から採っており、神楽舞の中に催馬楽(さいばら・声楽曲)を採りいれている所に特徴がある。
この神楽は代々世襲の家で「神楽役」といわれており神社より知行を与えられていました。
昭和20年代伝承者は白石国蔵師ただひとりになり、廃絶の危機に見舞われましたが、昭和30年にNHKで神楽が紹介され、これを機会に若者十数名が猛練習をして10月10日に一部を発表して、危機を乗り越えました。
昭和51年国指定重要無形民俗文化財として指定を受ける。
「鷲宮催馬楽神楽」 奏演日
1月1日(歳旦祭) 午前0時と午前10時半頃から
2月14日(年越祭) 昼頃から午後4時頃
4月10日(春季祭) 昼頃から午後4時頃
4月15日 八甫地区にある鷲宮神社
7月31日(夏越祭) 昼頃から午後4時頃
10月10日(秋季祭) 昼頃から午後4時頃
12月初酉日(大酉祭)['04は12月08日]
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「鷲宮催馬楽神楽」 曲目
あまてるくにてるふとのりとしんえいのまい
第一座 天照国照太祝詞神詠之段
てんしんいっかんもとすえかぐらうたさいばらのまい
第二座 天心一貫本末神楽歌催馬楽之段
うらやすよちのくにかためのまい
第三座 浦安四方之国之段
こうりんみさきさるたひこうずめのまい
第四座 降臨御先猿田彦祭鈿女之段
いわとしょうかいしょじんだいきのまい
第五座 磐戸照開諸神大喜之段
やしまきげんうきはしわざのまい
第六座 八州紀源浮橋事之段
だいどうじんほうさんしゅじんぎわざのまい
第七座 大道神寶三種神器業之段
ばつじょしょうじょうしゃくおおぬさのまい
第八座 祓除清浄杓大麻之段
ごこくさいじょうこっかけいえいのまい
第九座 五穀最上国家経営之段
おきなさんじんぶがくのまい
第十座 翁三神舞楽之段
ちんあくじんはっきゅううつぼのまい
第十一座 鎮悪神発弓靭負之段
てんじんちぎかんのうのうじゅのまい
第十二座 天神地祇感応納受之段
はかぐら
端神楽
そと あまつくにつきつねのまい
外 天津国津狐之段
ばんがい たちおりがみのまい
番外 太刀折紙之段
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