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ライン 神楽写真館  国指定重要無形民俗文化財 T

更新日'04年08月21日
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               はじいちりゅうさいばらかぐら  わしのみやじんじゃ
[国指定] 土師一流催馬楽神楽 鷲宮神楽


平成15年12月2日酉の市 鷲宮町鷲宮神社 [撮影]
  [端神楽]神楽の合い間に少女が舞う一人舞

  [八州紀源浮橋事之段]

  「鷲宮催馬楽神楽の歴史と特徴」
 鷲宮(わしのみや)神社の社伝によれば、社名は「土師の宮」はじの宮が、わしの宮が転訛した伝えられている。
 鎌倉時代には幕府にゆかりの有る神社としてあがめられ、徳川家康は鷲宮神社に社領として400石の寄進をしています。
 神楽がいつから始まったかは、さだかではありませんが、東鑑にも紹介されており、江戸時代享保年間に大宮司藤原国久が36座の曲目を12座に再編したといわれています。現在は12座のほかに「端神楽」外「天津国津狐之段」番外「太刀折紙之段」が伝承されています。
 演目は日本書記・古事記の神話から採っており、神楽舞の中に催馬楽(さいばら・声楽曲)を採りいれている所に特徴がある。
 この神楽は代々世襲の家で「神楽役」といわれており神社より知行を与えられていました。
 昭和20年代伝承者は白石国蔵師ただひとりになり、廃絶の危機に見舞われましたが、昭和30年にNHKで神楽が紹介され、これを機会に若者十数名が猛練習をして10月10日に一部を発表して、危機を乗り越えました。

 昭和51年国指定重要無形民俗文化財として指定を受ける。


  「鷲宮催馬楽神楽」 奏演日
    1月1日(歳旦祭) 午前0時と午前10時半頃から
    2月14日(年越祭) 昼頃から午後4時頃 
    4月10日(春季祭) 昼頃から午後4時頃
    4月15日 八甫地区にある鷲宮神社
    7月31日(夏越祭) 昼頃から午後4時頃
    10月10日(秋季祭) 昼頃から午後4時頃
    12月初酉日(大酉祭)['04は12月08日]
  「鷲宮催馬楽神楽」 曲目
        あまてるくにてるふとのりとしんえいのまい

    第一座 天照国照太祝詞神詠之段
        てんしんいっかんもとすえかぐらうたさいばらのまい
    第二座 天心一貫本末神楽歌催馬楽之段
        うらやすよちのくにかためのまい
    第三座 浦安四方之国之段

        こうりんみさきさるたひこうずめのまい

    第四座 降臨御先猿田彦祭鈿女之段
        いわとしょうかいしょじんだいきのまい
    第五座 磐戸照開諸神大喜之段
        やしまきげんうきはしわざのまい
    第六座 八州紀源浮橋事之段

        だいどうじんほうさんしゅじんぎわざのまい

    第七座 大道神寶三種神器業之段
        ばつじょしょうじょうしゃくおおぬさのまい
    第八座 祓除清浄杓大麻之段
        ごこくさいじょうこっかけいえいのまい
    第九座 五穀最上国家経営之段

        おきなさんじんぶがくのまい

    第十座 翁三神舞楽之段
        ちんあくじんはっきゅううつぼのまい
    第十一座 鎮悪神発弓靭負之段
        てんじんちぎかんのうのうじゅのまい
    第十二座 天神地祇感応納受之段

     はかぐら

    端神楽
     そと   あまつくにつきつねのまい
    外   天津国津狐之段
     ばんがい たちおりがみのまい
    番外  太刀折紙之段


次回神楽は'04年12月08日   [日時は変更されることがあります、要確認]

               はやちねだけかぐら  はやちねじんじゃ
 [国指定] 早池峰岳神楽 早池峰神社

↑「三韓征伐」 ポジ

演目調査中 ネガで変色 1974年撮影

 「早池峰神楽」 岩手県大迫町 早池峰神社 大償神社
   
    1月2日   大償神楽舞初め(神楽の館)
    1月3日   岳神楽舞初め(早池峰神社 参集殿)
    7月31日   早池峰神社例大祭宵宮
    8月1日   早池峰神社例大祭
    9月15日   大償神社例祭
    9月23日   大迫町郷土芸能祭
    12月 第3日曜日   大償神楽舞納め(神楽の館)
    12月17日  岳神楽舞納め(早池峰神社 参集殿)

 1974年頃撮影 大晦日は男鹿半島でなまはげ撮影 1月2日秋田県鹿角市で祭堂撮影 3日早池峰神社で舞い始めを撮影した。往復夜行列車・国鉄周遊券の旅
 そんなことを2年間続けて黒川能撮影へ的をしぼった。
 当時のネガフィルムは変色している、エプソンのあたらしい、フラットベッドスキャナーではどのような発色になるのだろうか。
 1973年1974年2000年撮影 ほか東京公演で撮影

  山伏神楽 −早池峰神楽保存会後援会パンフより−
 早池峰山はもと東根嶽と言い大同2年(807年)頃、田中兵部成房と始角藤蔵が瀬織津姫大神を勧請して開山されたと言われている。
 岳妙泉寺(早池峰神社)の開設が正安2年(1300年)と伝えられているほど早池峰山信仰の歴史が古く、修験山伏が行った祈祷の舞が神楽となったともいわれています。
 最初にまつられた瀬織津姫尊(セオリツヒメノミコト)は佐久奈度神社の[HP]によれば、[川の神で神道の最高祝詞である『大祓詞』には「高山の末短山の末より、さくなだりに落ちたぎつ速川の瀬に坐す瀬織津比売という神、大海原に持ち出でなむ」とあります。勢いよく流れ下る川の力によって人々や社会の罪穢れを大海原に押し流してしまう、川に宿る大自然神であることがわかります。] と解説されています。この神様は不思議な神で興味のある方は調べてみてください。
 早池峰神楽とは、大迫町の岳(たけ)神楽と大償(おおつぐない)神楽という2つの神楽をまとめて言う場合の呼称で、阿吽の関係にあるといわれ「大償神楽」が「阿」(あ)、「岳神楽」が「吽」(うん)、にあたり。昭和51年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。
 一般的な説明では「岳神楽」は荒々しく勇壮で男舞がよく、「大償神楽」は優雅な女舞がよいといわれている。この違いは7月31日の早池峰神社宵宮の例大祭で両神楽が拝見できる。

  演目解説
 「鳥舞」
 「翁舞」
 「三番叟の舞」
 「八幡舞」
 「山の神舞」
 「岩度開きの舞」
 「天降りの舞」
 「龍殿の舞」
 「天王舞」
 「笹祓いの舞」
 「五穀の舞・女五穀の舞」
 「尊揃いの舞」
 「苧環の舞」(おだまき)
 「天女の舞」
 「鞍馬の舞」
 「蕨折りの舞」
 「権現舞」


               ゆかばのかみまい    あらたましゃ
[国指定] 岩国行波の神舞 荒玉社


平成14年11月23日 日本青年館  [撮影:渡辺 国茂]




  [六識幸文祭]
  [荒霊武鎮]

  [日本紀]
  [湯立]

  「岩国行波神舞の歴史と特徴」
 山口県岩国市大字行波(ゆかば)地区の荒玉社に伝承されている神楽です。
 毎年10月第二土曜日に小祭と称する祭礼に数曲舞われ、7年目ごとに式年祭が行われる。
 この神楽は岩国藩に伝わる社家(世襲神職の家筋)神楽で、慶長元年(1595)より以前に京都で習得し継承されているものとされており、明治4年太政官(今日の内閣に相当)布告により社家による神楽禁止されたため、行波の里人により伝承されるようになった。
 [民俗芸能83・吉川周平氏の文章より引用]
 

  「行波神舞」 奏演日
 小祭 10月第二土曜日 荒玉社境内
     2間半四方の特設舞台で数曲

 式年  4月上旬の土日 
     4間四方の神殿(かんどん)を作り奉納
     「荘厳」「善の綱」「八関」「松登り」
      上記の演目は式年のみ演じられる。
  「行波神舞」 曲目
    1) 湯篠
    2) 湯立
    3) 火霊斗
    4) 火鎮
    5) 降神の儀
    6) 荘厳
    7) 六識幸文祭(通称、ろくじん)
    8) 諸神勧請(かんじょう)
    9) 注連灑水(しゃすい)
    10) 日本紀
    11) 真榊対応内外(ないぎ・しば)
    12) 紫鬼神
    13) 善の綱  
    14) 荒霊武鎮(あらかみ)霊剣・敷太刀を含む
    15) 八関
    16) 松の舞(松神楽) 
    17) 松登り 
    18) 愛宕八幡
    19) 弓箭将軍(しょうぐん)
    20) 三宝鬼神(三鬼)
    21) 五龍地鎮
    22) 天津岩戸(いわと)
     上記は「民俗芸能83」の解説による。



           たいしゃまちのおおどちかぐら      おおどちじんじゃ
[県指定] 大社町の大土地神楽 大土地神社


平成15年11月22日(土) 日本青年館  [撮影:渡辺 国茂]




  [神降ろし]
  [小恵比寿]

  [茅の輪]
  [荒神]

  「大土地神楽の歴史と特徴」
 島根県大社町に伝承される大土地神楽は、「出雲流神楽」に分類されている。神楽はもともと(明治以前・廃仏毀釈前)神仏を奉じて祭祀を営む専業の宗教者が行っていた。杵築大社(出雲大社)の門前町で神領だった大土地村と中村では江戸時代中期から地元民による「素人神楽」を産土神の荒神社の祭礼などで演じるようになった。
 寛政10年(1978)の記録によると、はじめは神職により演じられていたものが江戸時代なかば頃から素人、青年たちにまかせたようです。そのため神職の演じる神楽に比べて娯楽性の高い神楽になり、これが大土地神楽の特徴になった。
 参考文献:この文章は[民俗芸能84]三隅治雄氏山路興造氏の文章を参考にした。
 

  「大土地神楽」 奏演日
  10月下旬

  「大土地神楽」 曲目
    七座の神事
     入申し
    1)塩清目
    2)悪切
    3)茣蓙舞
    4)神降ろし
    5)八乙女
    6)手草
    7)幣の舞
    神楽能
    「山の神」 ・ 「八千矛」 ・ 「五行」  ・ 「切目」
    「田村」   ・ 「荒神(国譲り)」 ・ 「三韓」 
    「八戸(大蛇退治)」 ・ 「岩戸」   ・ 「八幡」
    「恵比寿」(小恵比寿・大恵比寿) ・ 「住吉」
    「野見宿禰」 ・ 「猿田彦」 ・ 「大和武」
    「茅の輪」 ・ 「日御碕」

     上記は「民俗芸能84」の解説による。







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