吉田城




所在地      豊橋市今橋市
築城年代     永正2年(1505)
築城者      牧野古白
主要城主     牧野氏・池田氏・大河内松平氏
最終石高     大河内松平氏七万石
城郭様式     平城

吉田城は最初今橋城とよばれ今川方の牧野古白によって築城された。
牧野氏は一色城(豊川市牛久保)を本拠として今川氏の幕下にあった豪族である。
その後、近隣の豪族との抗争を繰り返し、天文十五年(1546)になって今川
義元が城代を置いた。義元が桶狭間で戦死すると、徳川家康が吉田城を取り、酒井
忠次を入れた。天正十八年(1590)家康が関東に入ると池田輝正が十五万二千
石で入封し、豊川を背にして本丸を中心に二の丸・三の丸を配置し、それが掘を同
心円状に取り囲む半円郭式縄張りに拡張した。
しかし、慶長五年(1600)に姫路に移封となったため、工事は未完に終り、
代わって入った竹谷松平氏は三万石の石高であったため、大城郭の計画は実現しな
かった。その後、深溝松平・水野・小笠原・久世・牧野・大河内松平氏と代わり明
治に至った。
吉田城には天守閣はなく、深溝松平時代に建てられた本丸御殿が宝永の大地震で
倒壊するまでここにあった。四隅の石垣には櫓があったが現在では北西石垣上に昭
和二十九年(1954)の豊橋産業文化大博覧会を記念して再建された入道櫓と石
塁・堀・本丸城郭が残っている。