大垣城



別名    巨鹿城
所在地   大垣市郭町
築城年代  天文四年(1535年)
築城者   宮川安定
主要城主  戸田氏
最終石高  戸田氏十万石
城郭様式  平城

大垣城の創建には諸説があり、明応九年(1500)に竹腰尚綱によるものと
天文四年(1535)豪族の大垣氏が砦を構えていたものを土岐氏の一族宮川安
定がこれを奪い城を築いたとするもの、天文十七年(1548)竹腰氏再入城の
ときなどがある。
天正十年(1582)織田信長の死後、池田恒興が大垣に入り、小牧長久手の
戦いで戦死するとその子輝政が入った。その後、三好氏・木下氏・加藤氏・一柳
氏・羽柴氏・伊藤氏と城主が代わり、文禄四年(1595)伊藤祐盛のとき天守
を築いた。祐盛の子、盛宗の時関ケ原の戦いが起こり石田三成の女婿、福原長堯
以下七千名が籠城したが、東軍の水野勝成に攻められ落城した。
戦後、石川氏・久松氏・岡部氏・久松氏と代わり、寛永十一年(1634)戸
田氏鉄が十万石で入封し、以後十一代続き明治にいたった。
城は美濃平野北西部の沼沢と河川を利用した平城で、ほぼ整形の本丸、二の丸
三の丸と南に連なっていた。本丸の四層四階の天守の他に多くの櫓・城門があっ
た。昭和十一年(1936)天守閣と艮櫓が国宝に指定されたが、昭和二十年(
1945)戦火により消失した。現在の天守閣は昭和三十四年に再建された。
また、天守の北西には隅櫓と多聞櫓が建てられている。