名古屋城



別名     金鯱城
所在地    名古屋市申区本丸
築城年代   慶長十四年(1609)
築城者    徳川家康
主要城主   徳川氏
城郭様式   平城
最終石高   徳川氏六十一万石九千石

名古屋は古く那古野と呼ばれ、室町時代には足利幕府の管領、斯波氏の領地で
あった。応仁の乱で斯波氏の勢力が衰えると、験河守護の今川義元が侵入し、柳
丸を築いて弟の今川氏豊を城主とした。柳丸はのち織田信秀が奪い、その子信長
を城主とし、那古野城と称した。天文二年(1553)信長が清洲城に移るとし
ばらくののち廃城となった。
慶長十二年(1607)徳川義直が清洲城に四十二万石で入封したが、城地が
狭く、水攻に弱いことから、新しく那古野を城地に選ぴ、慶長十四年から西国の
大名二十諸侯に助役を命じ築城工事をはじめた。廃城になっていた那古野城の少
し西に東西百八十二メートルのほぼ正方形の本丸を置き、その外掘に空堀の内堀
をめぐらせ、その東南に二の丸、西北に御深井丸、その南に西の丸、その南に三
の丸があった。本丸の西北に石台を築きその上に五層六階の大天守と二層の小天
守を橋台で結んだ。築城工事が完成したのは慶長十七年でそののち尾張徳川氏は
六十一万九千石を世襲し明治に至った。
城地は国の侍別史蹟、重要文化財の櫓、西北隅櫓(三層)、西南隅櫓(二層)
東南隅櫓(二層)の三基、表二の門が残り、復興の大小天守、大手門などがある。
郭跡も、本丸、二の丸、御深井丸、西の丸などとこれを囲む石塁、堀が現存し
ている。