沓掛城



所在地    豊明市沓掛町沓掛東本郷3
城郭様式   平城

鎌倉時代末期の正中二年(1325)この地から近藤宗光が後醍醐天皇に召し
出され、この頃すでに城があったといわれている。その後、近藤氏が代々続き、
九代景春はじめ岡崎城の松平広忠に仕えていたが、織田氏の勢力がこの地におよ
ぶと織田氏についた。織田信秀が没して信長を見限った鳴海城主山口義継が今川
氏に寝返ると、景春も今川氏に属した。
永禄三年(1560)桶狭問の戦いで今川義元が敗れると沓掛城の、守備にあた
った浅井政敏らは城を去り、景春は残った城兵とともに刈谷城の襲撃に向かった
が援軍が到着して城に戻った。桶狭問の戦いの二日後、織田方の攻撃を受け景春
は戦死、落城した。
その後、簗田政綱、織田信照、川口久助と城主は替わり、久助は関ケ原の戦い
で西軍に属して没落した。