松阪城



別名    四五日城
所在地   松阪市殿町
築城年代  天正十六年(1588)
築城者   蒲生氏郷
主要城主  蒲生氏
城郭様式  平山城
最終石高  松阪領分六万石

元亀年間、潮長政が砦を築いたのが始まりだといわれる。天正十六年秀吉よ
り松阪十二万三干石に封ぜられた蒲生氏郷が、松ケ島城を廃城、新しい城地を四
五日の森に選び松阪城を築き、本丸を置いた。二の丸、三の丸を設け、本丸には三
層の天守が建てられ、二の丸には御殿、丘麓の三の丸には重臣の屋敷、土塁、堀
をめぐらせ、外郭に侍屋敷、その外倒に町屋という城下町の構成であった。
天正十八年(1590)小田原の北条征伐ののち、氏郷は軍功によって陸奥の
守護四十二万石となり,さらに翌十九年、九十二万石に加増され、会津若松城を
築いた。松阪には服部一忠、次いで古田重勝が城主となったが、元和五年(16
19)徳川家康はその第八子頼宣を和歌山に封じると松阪を紀州領とした。松阪

には二の丸に陣屋を置き、松阪領六万石を伊勢奉行の支配とし、明治に至った。