清洲城


清洲城天守閣


所在地   西春日井郡清洲町
築城年代  応永十二年(1405)
築城者   斯波義重
主要城主  織田氏
城郭様式  平城

清洲城は室町幕府の官僚で尾張・遠江・越前の守護であった斯波義重により
建てられた。その後、織田大和守が守護代となって居城したが、ついで家臣織
田信秀が斯波家三奉行の一つ、清洲奉行として居城した。
信秀が古渡城に移ると織田信友が入城したが、弘治五年(1555)織田信
長が信友を攻め清洲を奪い那古野城から移って城を大改修した。約十年間居城
した後、小牧山城に移ると番城となった。
天正十年(1582)信長が京都本能寺で倒れると、清州で清洲会議が開か
れ信長の後継として三法師が選ばれ、叔父の織田信雄が後見補佐役として清洲
城に入った。この時、五条川の流れを利用して拡張し、二童の堀をめぐらし大
天守・小天守・書院等を造営した。天正十八年、織田信雄が秀吉によって除封
されると、近江八播城の支城として城番を置いた。文禄四年(1595)福島
正則が二十万石、関ケ原の戦いで徳川家康が覇権を握ると四男の松平忠吉が四
十二万石、慶長十二年(1607)には九男の徳川義直が四十七万石で入封し
たが、慶長十五年(1610)名古屋城を築いて移ると清洲城は廃城となった。