刈谷城



所在地      刈谷市城町
別名       亀城
築城者      水野忠政
主要城主     水野氏
城郭様式     平山城

刈谷城は徳川家康の生母於大の父水野忠政によって天文二年(1533)に
築かれた。その後、永禄三年(1560)桶狭間の戦いで敗軍によって焼かれ
たが、慶長五年(1600)3代目の城主水野忠重の頃再建された。
江戸時代になると、寛永九年(1632)、水野忠清は二万石加増されて吉
田に転じ、百年に及ぶ水野家の居城に終りを告げた。以後、城主は松平(深溝
・久松)・稲垣・阿部・本多・三浦・土井氏とめまぐるしくかわり、土井氏が
九代続いて明治四年(1871)の廃藩置県まで普代大名の居城となった。
城郭は本丸・二の丸・三の丸・御屋敷などが整備され、本丸西側には衣浦が
入り込んだ海となっており、南北に隅櫓を置いて全体を土塀で囲んでいた。ま
た大手門は南に向き、搦手へかけて石垣を築いて、その周りを空堀がとりまい
ていた。
現在本丸と二の丸の一部が亀城公園として整備されている。