加納城



所在地    岐阜市西加納町
築城年代   慶長7年(1602)
築城者    徳川家康
主要城主   奥平氏・大久保氏・戸田氏等
城郭様式   平城
最終石高   永井氏三万二千石

加納城のある地は古来交通の要衝であり、守護代斉藤氏の沓井城があったとこ
ろでもある。近世初頭、徳川家康はここを戦略上の要地として注目し、廃止され
た岐阜城にかわり美濃平野の押さえとして関ケ原の合戦の翌年から三年を費やし
て築城された。
築城にあたっては岐阜城から多くの建物が移築され、御三階櫓といわれた天守
閣もその一つであった。
方形の本丸は、二条城・篠山城・名古屋城に酷似し、埋門・筋金門・鉄門がひ
らかれ、二の丸には御三階天主があげられていた。
初代城主には徳川家康の養女亀姫の婿、奥平信昌が十万石で入城し、大久保氏
・戸田氏・安藤氏と代わり、宝暦6年(1756年)永井直陳が三万二千石で入
封、以降世襲して明治にいたった。
現在は本丸の城壁と二の丸・隅櫓の一部がわずかに残り、加納公園となっている。