掛川城




別名     雲霧城
所在地    掛川市城内
築城年代   文明元年(1469年)
築城者    朝比奈泰■
主要城主   朝比奈氏・山内氏・太田氏
最終石高   太田氏五万石
城郭様式   平山城

掛川城は応永年間に豪族鶴見氏が砦を築いていたが、文明元年(1469)に
駿河守護の今川義忠が家臣の朝比奈泰■に命じて城を築かせた。朝比奈氏は三代
にわたって居城し、本丸、二の丸、三の丸、松尾郭の構えであった。
永禄十一年(1568)朝比奈泰朝のとき徳川家康の攻撃を受け城を明け渡し
た。家康は石川家成を入城させたが、天正十八年(1590)家康が江戸に入る
と、山内一豊が六万石で入封し、文禄二年(1593)城の大修理を行い三層の
大守を造った。関ケ原の戦いで徳川家康についた山内一豊は土佐国に移封し、そ
の後は久松氏・安藤氏・久松氏・中野氏・朝倉氏・高室氏・青山氏・桜井氏・本
多氏・藤井氏・北条氏・本多氏・井伊氏・桜井氏・小笠原氏とめまぐるしく代わ
り、延享三年(1746)太田資俊が五万石で入封すると七代世襲して明治にい
たった。
城は標高五十メートルの竜頭山丘上に本丸を置き、東北に二の丸、その東南に
三の丸のほか郭があった。
現在は安政二年に再建された本丸御殿と太鼓櫓が残っている。また、平成六年
には天守が復興した。なお、掛川城大手門が袋井市村松の油山寺に移築され山門
として残っている。