伊勢上野城



所在地    安芸郡河芸町上野字城屋敷
築城年代   室町時代
築城者    長野氏
主要城主   長野氏・分部氏
城郭様式   平山城

長野氏の一族である分部氏は安濃郡分部村を本拠地としていたが、天文十七年
(1548)長野氏から伊勢上野城を預けられ入城した。
永禄十一年(1568)織田信長の伊勢侵攻後、織田氏と長野氏との和睦によ
り長野氏の養子となった信長の弟信包が一時在城し、分部氏は信包に仕えた。文
禄三年(1594)信包が近江に移された後、豊臣秀吉から加増されて一万石に
なる。関ケ原の戦いの後、慶長六年(1601)に安芸郡で知行されて二万石に
なり、元和五年(1619)近江国大溝に移されて廃城となった。
城は旧伊勢街遺に沿った標高三十メートルの台地上にあり、八十メートル四方
の高台を主郭とし、北西隅には櫓台状地があり、南と東に低い土塁が見られた。
主郭の東側は幅二十メートル近い空堀により上下二つの郭に分けられる。
現在は本城山青少年公園となっており展望台が建てられている。