郡上八幡城



別名     積翠城
所在地    郡上郡八播町
築城年代   永禄二年(1559)
築城者    遠藤盛数
主要城主   遠藤氏、青山氏
最終石高   青山氏四万八千石
城郭様式   平山城

郡上八幡城は鎌倉時代、承久元年(1219)東胤行が山田庄の地頭となり
篠脇城・東殿山城に居城した。永禄二年(1559)東常慶のとき遠藤盛数に
東殿山城を攻められ落城した。遠藤盛数ははじめ東殿山城に入ったがあまりに
険峻であったため城地を不可とし、新しく八幡山に城を築いた。盛数の子、慶
盛のとき織田信孝・柴田勝家に加勢し、豊臣秀吉に反したため移封された。代
わって稲葉貞通が城主となったが、関ケ原の戦いで西軍に属したため移封とな
り遠藤慶隆が二万七千石で入封し、城の増築を行った。その後、井上氏・金森
氏が城主となったが、宝暦八年(1758)青山幸道が四万八干石で入封し以
後明冶に至った。
城は東殿山南端、標高三百五十メートルの八幡山山頂に天守曲輪を置き、桜
の丸・松の丸の郭があり、山麓に二の丸を構えた。青山氏の代に山麓の二の丸
を本丸とし、御殿・政庁を置いた。
現在山頂にある模凝天守と隅櫓は昭和八年に建てられた木造で、大垣城に模
して作られており、天守台・桜の丸・松の丸の石垣がほぼ完全な形で残ってい
る。