アジア旅行記 |
'97/04/26〜05/05 更新日:'97/05/25
さらに進むとこれらの写真を撮るための椅子、拷問の道具、1畳程度の独房があり
ます。運命を記録し続けた椅子を、一体何だったんだろうと見つめ続けてしまいまし
た。収容者をベットに縛り付け、顔に布をかぶせそれに水を掛けるなどの拷問の道具
の数々は物凄いものがあります。とにかく苦しませて、そして殺す事が目的の道具だ
とはっきり分かるからです。赤茶けた煉瓦で区切られた狭い独房は、こんなところに
いたら発狂してしまうだろうなと感じました。そんなところにスズメ(?)がチュン
チュンと自由に飛び回っていました。
最後の部屋には骸骨で作られたカンボジアの地図が壁に掲げられていました。たま
たま近くにいたガイドに誰が作ったのかと聞くと、現政権が作ったとのこと。なんと
悪趣味な。
帰国前にタクシーをシェアしたYさん、Nさんと再度訪れた時彼らは、見ていて気
分が悪くなったと言っていた。私自身は訪れた時、そのような気にはならなかったし、
ショックを受けたと言う気にもならなかったが、それでも鳥肌が立っていた。
これを書いている今も実は何故か鳥肌が立つ。やはり強いショックを受けていると
いうことなのか。自分自身はっきり分からないが、ショックを受けているとすれば、
過去に多くの人が殺されたことに対してでも、殺され方に対してでもなく、殺す側の
人間に対してだと思う。それも、彼らが憎いとかではない。人間は人を殺すことが
“平気”になる面を備えている事に対してだ。銃で人を撃つ、ギロチンで首をはねる、
こういったものは引き金を引く一瞬の“狂気”ではなく、布を顔にかぶせ水を掛けて
窒息させるなど、途中で中止できる時間がある方法で殺せる“境地”にたどり着いた
ことに対してだと思う。
自分の中にもこの“境地”はあるのだと思う。“そんなことはない。普通の人には
そんなことできない”と思う人もいると思う。でも僕はやっぱり彼らだけ特殊なので
はないと思っている。(中国の南京大虐殺記念館を訪れてからそう感じるようになっ
たのですが、その理由は「南京編」のページを作ることになった時に書くことにしま
す)こんな“境地”にたどり着くことがないように自分で自分をコントロールできな
いといけないのだと思う。他の人にも自分自身のなかにあるこの“境地”に気付き恐
怖して欲しい。それが狂気の克服につながっていくと思う。
◆キリング・フィールド
トゥール・スレンで殺害された人々が埋められた場所だそうです。その後掘り出さ
れ慰霊塔に移されています。その際の“穴”が残されています。慰霊塔の中には掘り
出された数多くの骸骨が見えるように置いてあります。まさにぎっしりと詰まってい
ます。
トゥール・スレンの“地図”でも思いましたが、“死者を見せ物にしている”よう
に感じられてなりません。それを写真に撮っている私も相当に“罪深い”のかも知れ
ませんが、これらが現政権によって作られ、ある種“見せようとしている”と思えた
ので、シャッターを切りました。