浦和高校建物紹介


107年の伝統を持つ我が浦和高校には湘南高校にはない特異な施設等があります。
今年の交歓戦では浦和高校は利用されないわけですが、
参考までに載せさせていただくことになりました。

 ではそのちょっとほかでは見られない浦高の施設を独断と偏見を基にちょっとだけ紹介します。
(2002年3月現在)



浦高特異空間其の壱:プール

 浦高百周年を記念してC棟と運動部部室棟の間に建てられた、浦高内では比較的新しい建物です。開閉ドーム付きソーラーパネル発電併用の最新式建造物なのですが、ドームは雨の日にも開いていて、ソーラーパネルはちゃんと発動しているか少々疑問なところもある実はいわく付きの物です(しかもシャワーは冷水のみ・・・)。毎年五月になると水泳の授業が始まり、海パン(怪パン?)姿の浦高生でごったがえします。



浦高特異空間其の弐:旧体

 浦高の中で最も歴史を誇る建造物がこの第二体育館(通称:旧体)です。今年で築四十七年を迎える旧体には人間よりも鳩の数が多いという事実があり、集会で集まる浦高生は彼らの落す爆弾(鳩の糞)におびえながら先生の話を聞くことがしばしば。その上床には天井板の落ちた後が多数・・・。そんな旧体も本年度をもって取り壊されることが決定しました。来年はどうなっていることやら。




浦高特異空間其の参:長屋

 B棟から続く文化部部室棟(通称:長屋)に行けばかなりの率で湘南戦実行委員のメンバーに合うことが出来ます。一般の浦高生でもめったに立ち寄らない長屋に居を構える(他に適当な語句が見つからないあえて言えば「生息している」?)「長屋人」は殆どが生徒会活動や実行委員会活動に従事する人々。言うなれば「長屋なくして実委無し」…?長屋には麻薬のような効果があり、一度慣れてしまうと居心地の良さで抜けられなくなります。くれぐれも御注意を。



浦高特異空間其の四:パルテノン

 A棟とB棟の間に何やら不思議なモニュメントが存在しています。これは22年前A棟が完成した時、旧校舎の玄関を200万円かけて移動したもので、時たま学生注目やライブなどに使われることがあります。その概観から通称パルテノン(「神殿」を付けても可)。全然似て無いという突っ込みはしないで下さい。



その他の建物・施設達

運動部部室棟

 
テニスコート 弓道場






年間行事


4月 一年生オリエンテーション
5月 新入生歓迎マラソン
浦高・湘南定期交歓戦
6月 体育祭
7月 臨海学校
9月 浦高祭
11月 古河強歩大会
修学旅行
12月 スキー講習






浦和高校の歴史


1895年6月28日
(明治28年)
 埼玉県北足利郡浦和町に開設。埼玉県立第一尋常中学校と称する。
現在の埼玉県立浦和高等学校である。
1896年10月5日
(明治29年)
 開校式が挙行される。当時の校舎は鹿島台(現在の浦和警察署付近)にあり
桜の名所として知られていた。校歌にも歌われているのでチェックしてみるといい。
1901年8月13日 埼玉県立浦和中学校と改称
1906年10月5日
(明治39年)
 開講十周年の記念式典が行われ、初期の校旗と現在の校歌が制定された。
校旗の本は現在所在不明…
1936年11月23日
(昭和11年)
第一回耐久競争が行われる。湖がマラソンの前身ともいえるこの行事。当時は
なんと8時間で日光街道をどれだけ北上できるかを争ったらしく、
トップは小金井(小山の少し先)までいったらしい。翌年以降は開講記念日に行われるようになった
尚、埼玉くらいは越えようと当時の生徒が努力していた事から、現在のゴールは
古河という事になったといわれている
1937年9月22日
(昭和12年)
鹿島台から現在の校舎のある領家へ移転。1923年の関東大震災でいたんだ校舎は
大修理をしなければ使えない状況であったが、県の予算だけでは足りなかったため
鹿島台の校舎を売り、その金で現在の場所に新校舎を建てた。移転する時は
校旗を先頭に生徒が机を運んだらしい
1941年4月1日 敬和中学校(夜間中学)を併設。現在の定時制の前身である
1948年4月1日 学制改革により埼玉県立浦和高等学校と改称
1948年10月15日 50周年ではないが、開講50周年記念式典を挙行。同じ日に第一回浦高祭が行われる
1951年5月4日
(昭和26年)
第一階新入生歓迎マラソンが行われる。当時は浦高から氷川神社まで(約10キロ)を
往復したそうだ。現在では森林公園で行われている。
1955年10月5日
(昭和30年)
 開講60周年記念式典並びに体育館兼講堂落成式挙行。このとき出来た体育館が
現在の第二体育館(通称:旧体)である。何故こんな古い建物が未だに…と思った人は
適当な浦高生を捕まえて聞いて見てください。
1957年10月19日
(昭和32年)
この日が記念すべき『浦高・湘南定期交歓戦』の第一回が行われた日である
以降、毎年5月の第2水曜日に途切れることなく続いている
1958年7月13日
(昭和33年)
 第一回臨海学校実施。当時は千葉県の勝山で行われていたが、水質悪化等の
諸所の事情により現在は弓ヶ浜に変更されている
1959年10月3日
(昭和34年)
 戦時中は中止されていた耐久競争が、強歩大会として復活。詳しくは
年間行事のページを参照のこと。毎年11月の第1日曜日に行われる
1965年12月18日
(昭和40年)
 開校70周年記念式典並びに特別教室C校舎落成式挙行。C校舎とは
いちばん校庭よりの校舎の事で、理科・社会系の特別教室がある。
なお、このC校舎に限ったことではないが浦高の建築物は耐震性に不安がある
建物が多い。来校の際は非常口の確認を忘れずに
1966年1月2日
(昭和41年)
第一回スキー教室が行われる。現在でも自由参加であるがその時の参加者は
わずか38名。ちなみに定員は100名ほどで一年生が優遇される
1978年10月31日
(昭和53年)
文化部室棟(通称:長屋)全焼。焼け跡からは地下室への入り口が発見された。
出火原因は漏電と報告されているが…
1980年2月28日 管理棟A校舎竣工。湘南戦のときは立ち入り禁止になっている。職員室や図書館がある
1982年1月27日 格闘技場竣工。『自彊館』と名づけられる。柔道・剣道場のある建物。
1982年2月5日 新体育館竣工。しかし、今では『新』というほど新しくもきれいでもない…
1984年4月12日
(昭和59年)
合宿所・文化部室棟・自転車置き場竣工。自転車置き場は湘南戦のときイベントとして
クイズ大会やミスコンが開かれる。柱が細いのが気になる。
1984年4月12日 野球場西端にユーカリ植樹。後に枯れる。他の学校でも植えたが何故かうちだけ枯れた。
1986年3月31日 ランニングコース竣工。歓迎マラソンに古河マラソンに大変お世話になる。
1987年3月31日
(昭和62年)
旧浦和通信制高校移転跡を、芸術棟に改築。美術、工芸、音楽系の特別教室が集まる。
工芸とは何かという説明はこの場では割愛させてもらう。泣いて説明する浦高生が
いるかもしれない。なお、通信教育部が設置されたのは昭和23年。
1988年3月31日
(昭和63年)
 麗和会館が出来る。1階には学食、2回には会議場と資料展示室がある。
湘実・浦実の合同会議も、ここで開かれる。浦高では数少ないキレイな場所。
1988年7月31日 運動部室棟竣工。意外に新しい。
1990年2月20日
(平成2年)
 正門前ロータリーに、川越にあった天然記念物の大銀杏樹を譲り受ける。ちなみに、
それまであった大銀杏樹は南門に移された。
1992年9月30日 弓道場竣工
1993年8月30日 学校用地(テニスコート)取得。主に軟式テニス部が使用している
1995年10月5日
(平成7年)
 浦高創立100週年。記念式典の際、イギリスのパブリックスクールである
ホイットギフト校(96年で400周年)と姉妹校締結。ノーベル賞受賞者の
利根川進氏の講演があったり、フリーマーケットが行われたりしていた。
この年は他にも色々あり、例えばドーム付きプールの完成、文化大会の開始、
百周年紙『雄飛せん』の発行などがあった。
1996年2月23日
(平成8年)
NASA・スペースシャトルの宇宙飛行士にして浦高OBの若田光一氏が『エンデバー』に搭乗
日本人初のMS(ミッション・スペシャリスト)として宇宙に舞った。同氏はこの後96年度にも
宇宙に向かっている。どちらも、地球に帰ってきたら浦高にきて報告をしてくださった。
1996年3月15日
(平成8年)
家庭科棟竣工。浦高でいちばん新しい建物。これまで浦高の家庭科では料理を
どこでやっていたのだろうか…。
1996年7月9日
(平成8年)
 第1回100年対決(対熊谷高校)が、土砂降りの雨の中浦高で行われた。死闘の末、
浦高の勝利。以後、100年ごとに行われる事に…。
1997年1月15日
(平成9年)
 ラグビー部が10年ぶりに県大会準決勝進出。全校応援を行う。残念ながら惜敗したが
浦高のよい部分を出せた素晴らしい試合だったらしい。
2000年8月
浦高生陸上部員、大橋祐二選手アジアジュニア選手権出場(於ブルネイダルサラーム)
この他、幾つもの大会で大成果をあげる