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少年サッカー指導コラム
フランスワールドカップを振り返って

 6月10日から始まったワールドカップも、とうとう先日7月13日早朝の決勝戦を持って終了しました。残念なことに、私は予選の期間中に北米視察にいっており、あまりきちんと各代表チームの試合をテレビで見ることができませんでした。もう一つ残念なことに、日本代表は、結局一勝もあげることもできず、予選敗退する結果となってしまいました。私の気持ちの中では、少なくとも、一勝あげられるのではという予想があっただけに、こうした結果に終わったことは残念で仕方がありませんでした。
 しかしながら、予選を終えて、決勝トーナメントでは、各代表チームのすばらしいプレーをテレビを通じてではありますが、見ることができ、眠い目をこすりながら、世界のサッカーを十分に楽しむことができました。
 私が、こうしている間、永山のチームのみんなもこうしたすばらしいプレーを見て、いろいろと刺激を受けているのだろうかと思いを馳せていました。いいプレーを見て、「まねてみよう」とか、「ああこうすればいいプレーなのか」ということに気が付けるかどうかというところの差は、日頃のコーチとして「どんなプレーが大切なのか」「どういうプレーがいいのか」ということを常々子供たちに言葉掛けしているかどうかに掛かっているのではないでしょうか。それができていることを願うばかりです。ぜひとも、4年に一度の大切な機会ですから、いいプレーをたくさん見て、繰り返し見て、そこから多くのものを学んでほしいと願うばかりです。
 そういえば、Jリーグの選手の中にも、かつてのクライフや、ペレ、マラドーナのプレーのビデオを擦り切れるほど見て、そのドリブル、フェイント、トラップのバリエーション、シュートのバリエーション、敵のマークのはずし方など、多くのものを学んだという人が少なくありません。そうやって、最近になってビデオで繰り返し見られる環境が整ってきたという事も、ようやく、日本が世界のサッカーの扉をたたくことが出来た大きな要因であるともいえるのではないでしょうか。
 さて、かつて、私は、エッセイの中で、日本代表が抱える長年の課題「決定力不足」のことについても触れました。このワールドカップにおいても、同じ課題が掲げられたといえます。こうした課題を振り返り、私の考えは決して間違っていないと実感しています。やはり、少年サッカーでは、攻撃に足の速く、少々技術のある選手をそろえ、その選手たちだけが勝つためだけにヒーローとなるようなチームを作ることは許されないのです。守備の選手が、なにも考えずにむやみやたらにクリアキックばかりしているチームを作ることは許されないのです。
 「試合に勝つことが思い出になるから」と勝つことだけにこだわるのは、大人の見栄とエゴなのかもしれません。子供たちは純粋にサッカーを楽しんでいるのです。その自由を奪わない指導をしていきたいと願うばかりです。そして、その自由さから、創造性のあるすばらしいが生み出されることを期待するばかりです。
 それだけではありません。ゴールをあげるということに対して、先日のあるスポーツ番組で、例の辛口で有名な某解説者が特徴的なことを話していました。
 「日本のサッカーのシュート練習はシュートを打った本数が基準になっている。そうではない。シュートはあくまで、決めた本数が基準になるべきだ。」「敵のいないシュート練習を何本やったって対して意味はない。」
 よくよく見ていると、少年サッカーの指導でも、同様の光景が見られることがあります。その解説者の話を聞いて、私も「はっ」とさせられた部分があったことは事実です。試合前のシュート練習などでは、慌ただしさから、ついついそういう考えになってしまうことがあります。ただ、幸いなことに、永山の子供たちは、個人技、特にドリブルを中心に、対人プレー、ゲーム形式の練習は比較的多くやってるはずです。そういう意味で、これからも、より内容の充実した、楽しいサッカーを永山の子供たちに与えていきたいと思っております。

コラム7月15日 「フランスワールドカップを振り返って」

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