プリント基準とシステムが欠けている
   現代写真術における<おまかせ>の逆転劇は見事であったが、同時に浮き彫りにされたのが、ハイテクカメラに対する業界の無策ぶりであった。では、どうあればよいのであろうか。  撮影時の正しい結果をプリントに発揮させるには、それなりのシステムが必要になる。しかし、現状では、プリントするときの明確な基準がないから、機械焼きであろうと、あるいは手焼きであろうと、正しいコンタクトプリント(いわゆるべた焼き)すら容易につくれない。  ここでいう正しいコンタクトとは、被写体に含められた灰色が正しい色調、正しい濃度で再現されたものを指すが、現状では、ある基準値、例えばメーカーの指示値で、ポンとボタンを押せばできるというわけにはいかない。そこが問題なのである。  つまり、プリントではフィルムの種類、そして同じフィルムでも乳剤番号により、また印画紙により、焼き付ける光により、また現像により、色も濃度も微妙に違ってくる。だから、プリント基準が明確でない現状では、正しい撮影をしても、コンタクト全体を眺め渡して、まあ、この程度、といったあいまいな調整しかできないのである。  理屈はサービスサイズの場合同じであるから、現状のように、撮影で人が調整し、次にプリント機械が調整し、更にそのデータを人間が調整をするという、誰が考えても実に馬鹿げた、そして無駄なことが、世界中で行われているのである。そしてここでは、まだ人間が機械の奴隷になっている非人間的な姿を見なければならないのである。  お断りしておくが、写真は、最終的にはきわめて手工芸的なものであるから、感覚がものをいう。しかし、ここでは単なる色再現でも、機械的に簡単に処理できない現状を問題にしているのである。スーパーコンピューターなら解決できるという人がいるが、それはただ計算が早いというだけのことではないか。
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