<あなたにも、写せます>の技術思想の出発点と終点
   これまでの写真術の歴史は、システム化とオートマチズムの歴史であった。  一八八八年に、<あなたはボタンを押すだけ、あとはこちらで>というキャチフレーズで発売されたカメラ<コダック>は、カメラとフィルム(最初は印画紙)をドッキングさせ、撮影したあとの現像とプリントというやっかいなプロセスの一切をメーカーラボが引き受けることによって、誰にでも可能にするという画期的な写真システムが登場した。これによって、誰にでも楽に写真が写せるという人類の夢がはじめて実現される。そして翌年の一八八九年には、世界で初の透明フィルムが使われ、必要とあれば、自分でも現像ができるシステム、つまりは、実質的に現在と同じ写真システムが誕生する。(注1)だから、一八八九年は、透明なフィルムにネガをつくってポジを紙につくるという現在のネガポジ法写真術の出発点ということができるわけである。  <コダック>をはじめとする初期のカメラは、レンズとシャッターがあるという程度のものから、次々と新たなハイテクが開発されるたびに進化し、ついには人間の視線に応じてフォーカスが自動調整されるカメラまでが登場するという自動化の過程を一直線にたどることになる。したがって、つい先頃までは、将来の大衆カメラは、さぞハイテクの塊になるだろうと想像されていたが、ある日、突然変異が起こった。  それは、<コダック>の出現からおよそ一〇〇年間かけて進化させてきたすべてのハイテクを全部取り去った<コダック>のリバイバルといえる<フィルム付きのおまかせカメラ>が出現する。使い捨てカメラの登場である。これはレンズ付きフィルムと呼ばれるが、ここでは、フィルム付きカメラと呼ばせて貰う。でなければ、フィルム付き<コダック>もカメラでなくなる。それに、そこにあれば、それはカメラ以外の何物でもない。  このフィルム付きカメラは、メカはオモチャ同然だが、使ってみるとその出来映えに皆がびっくりする。ハイテクカメラと区別できないほどの出来映えに、注文が殺到する。驚くべきことに、昨年のフィルムの輸出を含めた総出荷量では、何と、通常のロールフィルムの二倍(二分の一ではない)近くに迫っているという。(一九九四年日本写真協会報)  皮肉なことである。カメラ業界は、<コダック>以来、総力をあげてあらゆるメカを高精度化してきたにもかかわらず、結局、大衆カメラは一〇〇年前とまったく同じ原始的カメラに落着したからである。この意味するところはは重大である。これまで使われていたカメラの多くが使われなくなった、すなわち、これまでのカメラの大半がもともと必要ではなかったかもしれないということをも意味するからである。
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