改善を妨げてきたものは何か
 私は以上に、問題点とともに、高度な写真システムは基本的にはこうあるべきだという解決策も同時に提案してきた。それが私の独りよがりでなければ、現状の写真システムの問題点と私がこれまで攻めてきた問題点とがあまりにも一致していることに私自身、不思議な思いがする。  ところで、私が日本カメラ誌に<こうすれば正しい色がだせる>を発表した時点で、業界がこれを有効な方法として考えていなかったかというとそうではなさそうである。私の原理特許の出願後9ヶ月後、日本カメラ誌が発刊されたその時期に大メーカーが同じ主旨の特許を出願しているからである。他の応用出願もほかにあったような気がする。ということは、その時点で、実際的に有効な方法であることがわかっていたということであり、したがって、早い時期に解決できた可能性もあったということになる。  この解決策は 映像学会(注13)でも提案し、日本写真協会報(注15)でも何度か紹介されている。私の著書<写真技術ハンドブック>(ダヴィッド社)にも加筆した。一九八五年には、光学四学会(注14)共催の「第二回色彩工学コンファレンス」でも<画像濃度とカラーバランスのコントロール法>のタイトルで具体的なノウハウを発表した。  一九八九年九月には、大学の海外研修の機会を得たので、この色再現のノウハウを含め、主な研究成果(注16)を写真術の生みの親であるコダック本社に正式に提案してきた。ジョージ・イーストマンがやり残した少なくとも二つの大きな問題点は私が解決できたという自負心もあった。提案そのものはストラテジーに合わずという結果に終わったが、残念に思ったのは、先にも書いたダイトラのパンマトリックスフィルムが製造中止になるという知らせを受けたときである。使いこなせるノウハウなしには、ダイトラのマスターなどは夢のまた夢であることがわかり切っていたからである。ここでも、グレイバランスのバックアップが早く導入されていれば、事情はあきらかに違っていたと思う。今でも、確実にできるならダイトラの希望者は少なくない筈である。  いずれにしても、私の知る限りでは、少なくとも、これまでの業界はハイテクカメラにとっての<間違っているシステム>の改善には積極的ではなかったといえる。たとえそれがユーザーに不自由と不利益を与えていてもその体制は崩したくなかったといえば、言い過ぎであろうか。手焼きよりも質のよいプリントが、手焼きより安く、機械焼きで簡単にできるシステムは業界にとっては利益を損なう不都合なものであったかもしれない。  ユーザーがもっと賢ければということもある。しかし、これはむしろ、首をかしげたり、怒っているユーザーに、その問題点を率先して知らせるべき立場にあるジャーナリズムと、業界のチェック機関でもある行政官庁がそれを長い間無視して本来の責任を果たさなかったということにその原因があるというべきではないだろうか。  話はもどるが、私はさきの<声>の投書を黙視できず、「色再現はサイエンスで解決できる」という一文を「論壇」へ投稿したが、内容が「かなりに高度で専門的なので、一般読者には難しすぎる」とボツにされた。果たして、それほど難しい内容であろうか。  そこで私は同社の専門誌に提案することになったが、さきのように業界に対する批判を載せた同誌も、私の提案後のカラープリント特集では、編集部の姿勢は逆向きとなり、「サービスプリントの色は直る」の内容が、何と、サービスプリントの色は焼き直せば事足りるという内容(17)であったり、2年後の特集では、「楽々カラープリント」という表題とは裏腹に、”どのシステムでも思った色がでない”(注18)と決めつけて従来の方法を紹介し、更に「ネガカラーの可能性を見いだす!」では、こうすればいい色がだせるという私のノウハウ同様の内容が、拡散板をトレペに置き換えられて掲載された。これはライターが事前に私を取材しておきながらの結果である。  一事をもって万事を推し量るのは危険であるが、<正しい操作をしても、正しい結果が得られない>事実も、そして、その問題を改善するための情報も正常に伝達されないどころか、事実が隠ぺいされ、歪曲されるなど、今の時代には絶対に起こってはいけないことが起こっているその背景に、一体何があるのであろうか。公正であるべきジャーナリズムがこれではゆく先が恐ろしくなるのは私だけではないと思う。  現代写真術をこのように検証してくると、そこに見えかくれしてくるのは、建て前と本音を綯い交ぜにした業界の商業主義と、業界保護のために奉仕しているようにもみえる周辺の環境ではないだろうか。したがって、これまでの経過をみる限りでは、今度の五社プランも業界利益が先行し、またもやユーザーはひどい目にあうのではなかろうかと危惧されても仕方がないだろう。プリントの効率化は理解できるが、磁気化によって以上のべたような問題点も矛盾なく解決できるのであろうか。その内容は早い時点で公開され、十二分に論議が尽くされるべきである。  また、教育関係については、色再現についての基礎的な色彩教育や映像教育、また、実際に必要なサイエンスの教育が遅れていることも、写真システムの早期の点検と軌道修正ができなかった大きな理由であろう。ジャーナリズムもまた多くのユーザーも、また多くの教育関係者がもう少し色に詳しければ、問題がこのように長期間放置されるということはなかったのではないだろうか。  これからの色彩教育は、マンセルばかりでなく三原色のシステムを義務教育にも追加して充実すべきであると思う。将来のマルチメデイア時代のためにもきわめて重要であり、私は、色についての最初の基礎研究であるCCフィルターを使用したカラーシステム(注一六)を更に発展させた三原色の色のシステム(注1九)を完成させてお役に立てねばと考えている。
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