写真システムは完成されたか
 今日は、すべてのものがいったん写真に置き換えられることによってはじめて確認され、伝達され、納得されるという時代である。だから、写真術はまさに言葉であるだけでなく、言葉以上に重要な表象手段ということができるわけだが、そのための写真システムは、これまでの発展過程で、高度な表現手段ののシステムとして進歩し、完成される方向にあるのか、またあったのであろうか。これは、多くの人が抱いている、また、明らかにしたい疑問点ではないだろうか。  写真術の道具としてのカメラは、暗い部屋から暗箱へ、そしてローテクからハイテクへと進化し、現在では人間の意志通りの表現を可能にするための精巧なメカを、また、実質的に写真術を実現させた記憶材料としての感光材料は、銀板からガラス板、フィルムへと、そしてフィルムはモノクロームからカラーへと進化し、材料そのものも、また、プリントする機械などもたしかに発達し優れた性能を備えるようになった。  しかし、一般の写真術はカメラとフィルム、そしてプリントシステムがドッキングしてはじめて成り立ち、どれかが欠けても成り立たない。写真術をこのように定義すると、これまでの写真術の歴史は、一方の、ほどほどに写っていればよいという大衆写真術は、それなりの発展を遂げ、そしてあとで述べるような意外な展開によって、決着したとみることができるが、きちんとした写真システムは、とうとう編み出せなかった歴史とみることができる。  高度な写真表現では、画像の濃淡や色調は、構図やシャッターチャンスなどとともに、きわめて重要な要素であり、それらが少しでも偏ったりすれば作品が損なわれることになる。そして、本来、カメラの露出機構やフィルターなどは、表現目的に応じて、それらを自在に調整し決定する非常に重要な表現技術であることは改めて云うまでもないことであるが、その高度な記録と表現を目標とするハイテク写真術は、主流となったネガポジ法カラー写真においては、依然として、<正しい撮影をしても、正しいプリント結果が得られない>という大きな矛盾をかかえたまま今日を迎えているからである。  最近、写真関係者だけでなく、一般の市民にも聞き捨てにできないニュースが流れた。それは、一九二五年のライカの登場以来、四分の三世紀もの期間すべての人に愛用されされてきた現行の35カメラと35ミリフィルムが、世界のフィルムとカメラの五大メーカーの連携によって、まったく新しいフォーマットにつくり直されるという話である。  しかしそれは、データの磁気化といったことが伝わるだけで、どのような問題が解決されるのか、これまでのカメラや機材、ネガ等はどうなるのか、内容がさっぱりわからないことも手伝って、原状の問題を放置したままのプランは、新需要喚起のための、単なる商業的な作戦ではないかとと勘ぐられても仕方がない。  昨年のカメラ生産は約二0%減とされるが、それでも285万台ものフォーカルプレーンカメラが生産され、生産金額は七七一億円とされる。(一九九四年日本写真年報)今日の高級カメラは、昔とは違い、アクセサリーやステータスシンボルとしてではなく、より高度な記録と表現のための実用カメラとして求められる。しかし、その期待はサービスプリントにおいて見事に裏切られることになる。ブラケッテイングをしても、露出補正をしても、フィルターをかけても、結果はプリントに反映されないからである。
もどる