A WHITE GOLF BALL
今からちょっと後ろを振り返ると、つい先頃までは、我々は皆、結構、成熟しつつ
ある文明社会にいて、その恩恵に授かっているところ大なるような、妙な錯覚に陥っ
ていたか、ほろ酔い加減のところがあったことは間違いのないところだと思うが、バ
ブルがはじけ、世の中の醜い仕組みとともにその実相があからさまになりはじめて、
急に酔いが覚めて白けたところがあるような気がする。
”正しい操作をしても正しい結果が得られないというカラー写真の世界で起こって
いる不可思議なことは単にカラー写真にかぎらず、あらゆる分野にまたがって起こっ
ており、しかも肝心の情報すら遮断されて正常に伝達されていない。いまや、まさに
危機の時代である”(多摩美での1990年第1回「50人の眼」展でのテーマ部門
<問題提起もしくは環境>設定時チラシ)。
また”これが医学の世界で起こったらと考えただけで背筋が冷たくなるというだけで
はすまされない現象が案外的外れではなく・・・でなければ<不公正さの隠匿システ
ム>がはびこっている結果であり、各分野でのシステムの総点検が急務”(92年チ
ラシ)と書いた同じ「50人の眼」展でのアピールがそのまま現実となって、あらゆ
る醜態が、しかし氷山の一角として少しづつさらけ出されされつつある。
映像文明も、それに大きく加担していたし、また安易で中途半端な自動化万能主義
は人間尊重とは相反するものであって、サイエンス不信感をつのらせる原因をつくっ
たといえるだろう。少なくとも今日の状況とまったく無縁のはずがない。
カメラもコンピューターはまだまだ未熟である。人間は機械を、コンピューターを
使うべきなのであって、使われてはならないが、使われていることを、ふりまわされ
ていることを不思議に思う人があまりに少ないようにみえるのが不思議というより不
気味である。
色画像の取り込みシステムは、コンピューター時代になってからもカラー写真の自
動化路線が引き継がれている。7年前に登場したサービスプリントによる白いゴルフ
ボールはデジタル時代の自動化によって更に美しい変身を見せる。
それはこのように魅惑的で美しい幻影と同時にゴルフボールの裏に潜んでいるもの
と同様にそれはきわめて怪しげな危機の時代のサインをも発信し続けているのである。