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WRITE IT LOUD!! ROLL OF ROCKS

                        1996年10月11日開始

                                  火だるまG

第5回:1996年12月11日
SILLY LOVE SONGS/PAUL McCARTNEY(1976 IN WINGS AT THE SPEED OF SOUND)
(JUST LIKE)STARTING OVER/JOHN LENNON(1980 IN DOUBLE FANTASY)


君は、馬鹿みたいに単純なラブソングに世間の人々みんなは飽き飽きしていると思っている。
でも、僕はそうは思わない。
もっともっと馬鹿みたいに単純なラブソングでこの世を一杯にしたいと思っている奴もいる。
それでいいじゃないか? なにがいけないの?
さぁいくぞ!!
I LOVE YOU。

わかってくれるだろ?
すんげぇ単純な感情なのにうまく表現できないってことがさ。
あのコはたくさんの、そして、すべてのものを僕にくれた。
もうわかるよな?
それでいいじゃないか? なにがいけないの?
さぁいくぞ!!
I LOVE YOU。

恋愛は1日してならず。
一生縁のない奴だっている。
そんな気になるってことが素晴らしいんだよね。
馬鹿らしくなんてない。馬鹿らしくなんてない。
恋愛は全然馬鹿らしくなんてないよ。

僕の愛したコについて、君になんていおうか?
僕の愛したコについて、君になんていおうか?
I LOVE YOU。
僕の愛したコについて、君にどういえばいい?
I LOVE YOU。
僕の愛したコについて、君にどういえばいい?
I LOVE YOU。

追悼のざわめき、という言葉が好きです。いや、ざわめき、という言葉が好きなのかもしれない。BLAZER,IGINITOR。ざわめきを起こす人に憧れます。ざわめきを起こす人は燃えている。燃えているから、彼のいる場所には酸素がなくなり、ぽっかりと真空状態となります。そしてその真空に向かって風が巻き起こり、冷たかった空気が巻き込まれて熱を帯び、ほんの少しだけ温まる。
彼は、周りに温もりを与える。
ざわめきを巻き起こす人のもって生まれたVACANCYが世間の役に立つ唯一の可能性がそこにあります。そんなことでもなければ彼はただの廃人でしょう。

愛がすべてとジョンレノンは歌いましたが、もちろん、嘘っぱちです。
愛には閉ざされた愛と、開かれた愛があり、閉ざされた愛では、個という人間の桎梏が、対や家族という、ほんの少しだけ数量的に大きな単位にかわるだけで、四畳半一間が、2LDKになった程度の意味しかない。桎梏は桎梏です。
窓の向こうに無限の世界が広がり続けていることにかわりはない。
目の前の愛しきものの微笑みに微笑み返しを送りつつ、窓の向こうの、名も知らぬたくさんの人の微笑みに出会いたい。
アーティスト呼ばれる人たちの想いの原点はそこにあります。
それは宿命のようなものかもしれない。いてもたってもいられないような気持ち。
赤ん坊と目が合えばおどけて見せたり、レディの前ではジェントルだったりする。
ごく自然になんの打算もなく。
もちろん、アーティストも桎梏的な個人ですので、個人的な生活を追求します。当たり前。しかし個人生活と表現生活は十分併走可能なもので、アーティストにとって、一番大事なのは、表現生活においてなにが自分のざわめきの根源であるかを見失わないことだと思います。

ブライアンエプスタインとの死別はどうしようもない運命であったとしても、ジョンレノンはポールマッカートニーとの黄金コンビを破棄するべきではなかった、ということをいうために、ずいぶん回りくどいことを書いています。

前回の僕のページを御覧いただければ一目瞭然、僕はジョンレノンのソロ第1作「ジョンの魂」をなによりも心の持ちようの基準にするものですが、その一方、「レットイットビー」「アビーロード」の次のビートルズのアルバムを聞いてみたかったと思うものでもあります。その手の仕事はボブディランにまかせて、奇跡のような出会いをとことん突き進んで欲しかった。
おそらくそっちのほうが貴重ですから……。

しかし運命は運命。人はそれぞれの運命の中でベストを尽くすしかない。
ので、しょうね?

ジョンはソロの初めの2枚のアルバムで、それこそ幼稚に馬鹿みたいにポールをいじめています。「I FOUD OUT」は自分自身も血飛沫をあげている、諸刃の刃ですのでまだしも、「HOW DO YOU SLEEP?」はポールに対してアンフェアで聴くに耐えない。
「ボブ・ディランが『ライクアローリングストーン』をやるようなもの。これは彼のいじわるソングのひとつだけどね。ぼくはこの曲で、ぼくの怒りとかフラストレーションをはき出している。そして対象にされたのはポールという具合だ」(『JOHN LENNON PLAY BOY INTERVIEW』集英社)
が、しかし、その2曲後でジョンとポールは仲良くディオっているのよね。録音は68年らしいけど、PLUS THE J&P DUOとしっかりクレジットされている。曲名は「OH YOKO」(なんと微妙で複雑な関係!!)
そして、その後、自意識過剰の幼稚なサリンジャーかぶれの凶弾に倒れる直前まで、表現的には、ジョンレノンは完璧なスランプに陥ります。もちろん水準はキープしていますが、なんせ、こちらの期待するものが大きすぎる。
自意識の無意味さを軽々と指摘した自由な人間が、自意識にのみ己の存在証明を託さざるを得ない不自由な人間の恨みを買うのは当たり前。
それこそ運命。
しかしスランプは別です。
僕は、それを、オノヨーコさんが彼の表現的なざわめきにならなかったことを、逆説的に証明するものと感じます。

そして、その間、「マイラブ」以降、ざわめきもなしに、もとビートルズの看板を背負ってたったベビーフェイスがポールでしょう。
ジョンから「お前の音楽はミューザックでミュージックじゃねぇ」なんて、おそらくアイリッシュ訛りを屈辱的にからかわれるという、血の凍るような体験をしたのにもかかわらず、ポールは本当に頑張った。これは日本人が「おめぇXX人だろう」というのと同じだと思われます。
ジョンを美化するのは簡単ですが、ジョンは良くも悪くも矛盾した、正真正銘筋金入りのMR.VACANTだったと理解するほうがよっぽど生きる上での参考になります。
そしてジョンの長ーいスランプの原因がそこにある。彼は彼のやっていること、あるいは、彼のやれたことすべてが、自分一人でできたことだと思ったのですね。無意識な人だからざわめきの根源があまりにも、身近で当たり前すぎてわからなかったのかな? 近親憎悪かも。

一方ポールは『バンドオンザラン』『ビーナスアンドマース』と本当に頑張ったけど、やっぱり、ざわめきを失った痛手はこっちのほうが大きいのね。どうしようもなく一味足らない。彼1人ではクールな表現が作れない。
それで「そろそろ、なんとかしてくれ=HELP」という想いを込めて放ったのが今回の曲でしょう。

「俺たちが始めたのはこういうことからだったよな?」


俺たちの人生は一緒で最高だった。
そして、俺たちは大人になっちまった。
たしかに俺たちの愛情は特別だけど、いっちょ、ここで1人づつ、ぶっとんでみないか?

君と一緒に暮らしてきてもうずいぶんになる。
だれのせいでもなく、光陰矢の如しという奴さ。
だけど君を見るたびに、またまた、恋に落ちそうな気がする。
惚れ直しって奴かな。

毎日毎日俺たちは愛し合ってきた。
もっともっと気持ちいいSEXをしようよ。
だから翼を広げてぶっとんで見よう。
明日も同じ(=ANOTHER DAY)じゃつまんないよ。
惚れ直しって奴さ。

お互い一人一人で旅立つのさ。
どっか遠ーいところまで。
そしてまたその旅の途中で出会えればいい。
俺たちが若いころはそんなつもりで生きていたじゃんか。
だからさ、だからさ。

この女性という第三者の力をかりた、2人のアーティスト=VACANTの壮大な相聞歌の先に、世界1のロックバンドの復活の可能性があったのかと思うと、僕の心はざわめきを禁じ得ません。

最後になりますが、今回の歌詞は店の歌詞カードからコピーしてきました。ここにジョンレノンのファンのページがあり、ディスコグラフィや歌詞など重宝していたのですが、ロゴマークなどのパテントでビジネス筋(オノヨーコさんですな)からクレームがついた。これは完全におやめなさいという通告ではないらしく、一部除去してくれれば続けてもらっていいという話らしいのですが、開設者にサーバを提供しているミズーリー大学が過剰対応して、もう止めろと、彼のホームページをクローズしたらしいのです。彼はそのことに非常に憤っているようですが、やりたければ、大学でただ同然の臑齧りをするのではなく、少しは自分の腹を痛めてみたら? というのが、僕の意見であります。ジョンならどうでもいいやと、不機嫌そうな顔であくびするところでしょう。

僕のこの歌詞にスポットをあてる連載で、取り上げる曲の音楽面が最高に格好いいことは保証します。大音量で10回続けて聴いてみてください。きっと感じるものがあるでしょう。(この企画、文章、考え方などの著作権は一応存在するといっておきます)


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