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WRITE IT LOUD!! ROLL OF ROCKS

                        1996年10月11日開始

                                  火だるまG

第3回:DON'T LET IT BRING YOU DOWN/NEIL YOUNG (1970 IN AFTER THE GOLD RUSH)

『トラックが行き来している道ばたで、老人が寝込んでいる。
重さに耐えかね沈みかけている青い月を、ビルがじゃまをしている。
夜明け時の街角に冷たい風が吹いて、新聞紙が舞っている。
道ばたに死体がころがっている。
その瞳に夜明けの太陽が映っている。

君が気を落とすことはない。
城が炎上しているだけだ。
誰か帰ってくる人が出はじめたら、君も戻ればいい。

手の中に答えを握りしめて、めくらが闇の中を走っていく。
川に行けば、君にもわかる。
雨に濡れる窓の向こうに、赤いランプの光がチラチラしている。
サイレンも聞こえているよね?
排水溝に白い杖が落ちている。
君は一人で歩いて家に帰るのかな?

君が気を落とすことはない。
城が炎上しているだけだ。
誰か帰ってくる人が出はじめたら、君も戻ればいい』

「貧乏」という言葉が、まだ、息づいていた、僕がガキのころには、一方「連帯責任」という言葉もまだまだ健在でした。
 あのころは小学校で備品が頻繁に消失しましたが、その度に、教師は、教室の机を一方に固めさせて、黒板の前にクラス全員を正座させると、やった奴が正直に白状するまでそのまま、とかいって、黙々と新聞を読んでいたりしたものです。
 僕もいくつかの悪事を働きましたが、ばれるようなへまはしませんでした。僕がかかわった悪事は、気づかれもしなかったのです。
 でも、僕に関係のない悪事でも、いつも、僕がやった、といいました。
 誰かをかばうわけでもなく、ただ、ただ、その押し黙った陰鬱な空気が嫌だったのです。別に殴られるのなら、殴られてもいい。それで済めば、そっちの方が気が楽だとマジで思いました。
 でも、たいがい、じきに本当にやった奴が、体を震わせて泣き始めてしまうので、僕の嘘もすぐにばれました。
 僕は、泣くぐらいなら、やらなければいいのにと思いましたが、殴られなくてラッキーと思ったのも事実です。
 誰かが、泣き始めると、教師は机を元に戻させて、そいつを殴るでもなく、なにもなかったように授業を始めましたが、必ず、ものすごい表情で僕をにらみつけました。
 僕の敬愛する俳優ウォーレン・オーツの自伝『荒野より』(大久保賢一訳/立風書房)の中にSOCIAL GORRILAという言葉を見つけたのは、それから20年もたった後です。
なんにつけ、かんにつけ、「人々のために義侠心からこんなことをやっている」などと、思考したり、行動したりする人間をSOCIAL GORRILAというそうで、ご丁寧に「社会的化け物」というルビがふってありました。はっきりいって驚愕しました。
あの時、教師が僕に見せた表情は、人間が獣や化け物を見る時に見せる目つきだったのですね。
出自が獣や化け物であった者なりに考察しますと、獣や化け物がどうして獣や化け物になるかというと、はっきりいって心が弱いからの一言につきます。きれいごとでいえば、優しいから。
ほかの人たちが、機嫌が悪かったり、元気がなかったりしているのが気になってしょうがない。それが、彼自身の元気に関係してしまう。そのことが、彼の弱さを証明しています。
しかし、彼も、徐々に人間に進化します。
たとえば、友達がオオケガして、見舞いにいって、その時には、本当に心の底から心配したりするのだけれど、その帰りに恋人と待ち合わせて、ラブホテルに入り、セックスに耽ったりする。テレビで飢えと貧困に苦しむアフリカの難民の姿を見つめながら、食後のかりんとうでお茶をすすったりもする。
ニール・ヤングのこの歌は、人間の最低限のマナーは、自分の元気を保つことであると、歌っていますが、言外に含まれた大きな意味は、他人や、社会のことを気にかけることと、自分の人生を謳歌することは全然矛盾していることじゃないよ、ということなのでしょう。
僕のこの歌詞にスポットをあてる連載で、取り上げる曲の音楽面が最高に格好いいことは保証します。大音量で10回続けて聴いてみてください。きっと感じるものがあるでしょう。(この企画、文章、考え方などの著作権は一応存在するといっておきます)


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