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WRITE IT LOUD!! ROLL OF ROCKS

                        1996年10月11日開始

                                  火だるまG

第1回:THE SLIDER/T.REX(1972 IN THE SLIDER)

『僕には風ってやつがわからない。
それは愛の毬みたいなものか?
ぼくには宇宙というやつがわからない。
それは丸鼻蜂みたいなものか?

悲しくなったら、ぼくはディメンションをかえる。スライドする。

僕は車にキスしたりしない。
だってそれはただのドアーだろ。
僕はずーっと僕一人でやってきた。
だって学校って気持ち悪いだろ。

悲しくなったら、ぼくはディメンションをかえる。スライドする。

僕の鼻はいつもよぉくきいている。
庭には花が咲いている。いい匂いだ。
ぼくには宇宙というやつがわからない。
それは丸鼻蜂みたいなものか?

悲しくなったら、ぼくはディメンションをかえる。スライドする』

正直に告白すると、僕がこの曲に正対したのは、つい2月ほど前です。ロックを聴いて25年。この曲を知って2カ月。人によっては、そんな僕の態度を信用できないと思う人もいるかもしれません。
それでもあえて、この連載企画の第一回目をこの「THE SLIDER」から始めるのには、2つの理由があるのです。1つの個人的な理由については後述します。
まずもう1つについて。
これは僕の実感なのですが、現代は同時代体験というのが無意味になった時代だと感じます。黒沢明さんの映画を映画館で同時代で見ているか、いないか。寺山修司さんの天井桟敷にいったことがあるか、ないか。そんなことに意味があった(みたいだった)時代がありました。なぜなら、情報がその場限りのハイサラバイだったから。ビデオ全盛の今では夢のような話ですが、『七人の侍』を見ようと思い続けて、それが実現するまでに、僕は3年待ちました。
アリバイをチェックしてみれば、けっこう怪しい、同時代にそれに触れたという人は、口角泡を吹く勢いで、あったことなかったこと、わめきちらし、同時代にそれに触れ得なかった遅れてきた者で、それらに深い興味と敬愛と関心を抱く者は、ひたすら頭を垂れる。そして、そこには不毛な、相互理解絶対不能という事実のみが残り、本来そのような文化的表現が希求しているはずの、時代をこえた人間的な結合というようなものは、むくろとなってころがっていく。
しかし時代は変わり、たしかに同時代的なHEAT OF THE MOMENTというようなものはどこを探しても見つけようもない、うつろな時代ですが、この高度情報社会にも、それをうまく利用すれば、過去の先達たちには、望めかったような妙味が存在します。それは時空間をこえた、超個人的な同時代体験ともいえるべきもの、つまり、ある個人が、あるジャンルの表現芸術を嗜好した時に、つい一昔前ならば、研究者や権力者や大金持ちでもなければ享受できなかった、集中的な情報体験をいともたやすく経験できる環境がそこにあるということです。
簡単な例をあげれば、がんらい僕は庶民階級の出自ですので、思春期の時代に揃い集めたロックのレコードは廉価だった輸入盤が中心で、当時の輸入盤には歌詞カードがついているほうが珍しいという時代でした。ディランなんててんでついていなかった。歌詞については闇夜のカラス。あの時代の日本盤の歌詞カードのいいかげんさについてなら、いいたいことはいくらでもあります。翻訳についてなら、なおさら。しかし今なら、インターネットで、ほとんどすべてのロックアーティストの歌詞に瞬時にアクセスできます。アクセスするのは、海外の、僕みたいなロックファンが主宰するページです。彼の愛するロッカーのメッセージを全世界に伝えんと、せっせと歌詞をタイプしてくれている、ネイティブイングリッシュの好人物たちがたくさんいるのです。今回のこの企画の歌詞は、ほとんどそこからもらってきたものを翻訳していくつもりです。
僕は文化の発生と、その文化のあらわすものが実際の人間生活に反映してくるまでの時期には、タイムラグが存在すると考える者ですが、文化が一過性の消費物であった時には、いくら種をまいても、ブームが終われば、はいそれまでよ、なかなか花が咲くところまで行きにくかった。シングルヒットはばんばん生まれ、今でも時々哀愁の懐かしナンバーとしてCMなどでは使われたりもする、T.ERXなどは、その好例でしょう。彼らのメッセージがこの国で正確に受けとめられたとはとても思えません。
しかし、大衆戦ではなく、文化が個人戦の時代になれば、話は別です。心優しきお節介な賢人たち、あるいは、一足先に滅びてしまうほど人間を愛し、ブルースにまみれて死んでいった先人たちのメッセージが、より深く、僕たちの日常生活に着床し、いつの日にか花を咲かせる可能性もあるのではないでしょうか? ただし完全個人戦という、ブームやファッションという追い風は期待できない闘いですので、そんな気でやろうというアホには辛い時代ではありますけど。
話がずれた気がするので、まとめれば、同時代体験なんて関係ない、あなたは、あなたの個人時代を生きるしか手はない、そして、そんなあなたの目の前に、時代も空間もこえて、素敵な歌や、本や、映画は、ごろごろにゃんにゃんと、ころがっているよ、ということです。ほんの少し手を伸ばせば、あなたの人生に花が咲く。ほれ、ほれ、ここ掘れ、わん、わん、わん。
さて、もう一つ、個人的なお話です。
僕はつい一月ほど前に、5年つきあい、2年間同居していた女性とのルームシェアを解消しました。マーク・ボランの呟く、この曲を見初めたのは、そんな工程が佳境を迎えてきた頃でした。同居解消といえども、不倶戴天の敵になるでもなし、ある晩「最近、T.REXにこっててさぁ。いい年して、ようやくわかって気がついたんだけど、マークはこんなこと歌っているんだよ」と、この曲について彼女に、話しました。「これって逃げじゃん」それが彼女の反応。どうせ覚えているとは思えないけど。
マーク・ボランにいわれるまでもなく、お前の敵はお前だを合い言葉に、なんとか、自分を自分の敵にしないようにしながら、僕はどうやらこうやら、僕の人生を渡ってきました。だって、もし、僕自身が僕の敵だったら、人生辛くて生きていけないもの。DON'T LET THE SOUND OF YOUR OWN WHEELS DRIVES YOU CRAZY。これはジャックスン・ブラウンの書いたTAKE IT EASYからの一節。
でも、人間一人では寂しいから、どうしても随走者を求める。そして、そんな気はなかったのに、あれ、こいつの中には俺の敵がいるぞ、と思ってしまう瞬間が来たりして、呆然と立ち尽くす、こともある。
ALL THINGS MUST PASS,NOTHING REMAINS SAME,EVERYTHING CHAGED AND LOST ITS MEANING AND SHINING。
そんなことを歌っている曲は山ほどありますが、それでは、そんな時に、人間はどう立ち向かえばいいのか?
 WHEN I AM SAD, I SLIDE。マーク・ボランはそう口ずさんで、モータウン風のストリングのフェイドアウトとともに、どこかへと消えていきました。
僕のこの歌詞にスポットをあてる連載で、取り上げる曲の音楽面が最高に格好いいことは保証します。大音量で10回続けて聴いてみてください。きっと感じるものがあるでしょう。(この企画、文章、考え方などの著作権は一応存在するといっておきます)


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